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2009年3月 8日 (日)

革マル派全学連

この記事は2009年3月に執筆したものですが、HP・ブログの一時閉鎖及び再公開の際に、HPに移し、内容を大幅に加筆いたしました。

HPの加筆した記事をご覧ください。

ボリューム(E:) 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派

https://sites.google.com/site/nagato0326/jrcl_home/jrcl_rmf

ボリューム(E:) 全日本学生自治会総連合

https://sites.google.com/site/nagato0326/zenkyoto_home/zengakuren
―――――――――――――――――――――――――――――

【名称】日本マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派
【上部団体】日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派
【ヘルメット】白地に鉢巻状赤線に「Z」。


1
1969.02.03 革マル派 アメ大侵入 A号アパート3階で検挙護送中

2
1969.02.03 革マル派 アメ大侵入 アメリカ大使館内、A号アパート3階屋上

19690203
1969.02.03 革マル派 アメ大侵入 アメリカ大使館正門前

19690903
1969.09.03 早大封鎖解除警備 大隈講堂屋上の最後の抵抗

19690903_2
1969.09.03 早大封鎖解除警備 大隈講堂 ガスよけに水中眼鏡まで用意して立てこもる学生(大隈講堂)

革マル派は中核派や解放派のとったような大規模な街頭闘争には殆ど参加せず、独立した立場で闘争を進めていた。しかし他党派解体路線に基づき拠点校に於いて他の新左翼党派を暴力的に排除したことや、東大安田講堂事件で敵前逃亡した(※)ことなどで非難の的となり、第二民青の名を取り多くの闘争から排除された。殊に敵前逃亡事件後の幾つかの事件(写真はその一つであるアメリカ大使館突入闘争)は「アリバイ闘争」と揶揄された。全国学生闘争に続く三里塚闘争にも参加しなかった。(正確には幾度か三里塚現地へ行っており、70年代初期の三里塚に於けるゲバスタイルを確認している。)

※東大安田講堂事件に於ける敵前逃亡
革マル派は兵力温存を口実に、部隊の大半を割り当てられた防衛拠点である法文二号館より引き上げた。その結果、法文二号館の陥落は早く(資料によっては完全無抵抗との記述も)、法文二号館から他の防衛拠点に対して、警察による直接的な催涙弾攻撃が可能となったとされる。

1971.06.23 革マル派「解放」 号外 一面 上部

1971.06.23 革マル派「解放」 号外 一面 下部


1971.06.23 革マル派「解放」 号外 二面 上部


1971.06.23 革マル派「解放」 号外 二面 下部

※落書きは私がしたものではありませんよ。入手時には既にありました。念のため。



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