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2009年3月22日 (日)

改憲阻止学生会議 社青同協会派

改訂版の記述はこちらへ

HP版ボリューム(E:) 日本社会主義青年同盟全国学生班協議会(協会向坂派)

 

【名称】改憲阻止学生会議
【上部団体】日本社会党=日本社会主義青年同盟中央本部学生班 (社青同協会派)
【ヘルメット】白地に「反独占」。

詳しい歴史は解放派の項を参照。※訂正1966年9月の社青同大会で正式に解放派は除名され、以後社青同学生班は協会派の手で担われることになった。社青同の名前は圧倒的に解放派の方が有名だが、中央を握ったのは協会派である。

19691126
1969.11.26 総理の帰国に際しても革新諸団体の抗議集会が行われた。

※訂正

上記説明について下記の通り訂正いたします。

誤:1966年9月の社青同大会で

正:1971年2月の社青同第10回大会で

郡山さんよりご指摘を賜りまして、根拠まで示していただきましたので訂正いたします。詳細に関しましてはコメント欄をご参照ください。後日手元の資料以外にも、新たに資料を集めて加筆訂正したいと考えております。

郡山さんご指摘いただきありがとうございました。



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コメント

>1966年9月の社青同大会で正式に解放派は除名され
解放派が社青同から除名されたのは1971年の第10回大会だったはずです。1966年9月は第7回東京地本大会で、そこで協会派と解放派が衝突し、中央によって東京地本が解散処分となったと認識しております。

郡山さん

ご指摘ありがとうございます。手元に、主に執筆に際して参考にしていた文献が今ないので暫くお時間を戴くことになりますが、至急確認し、訂正等いたします。

追記です。
下の「社青同第十回大会宣言」(1971・2・13)が出典になると思います。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_038.htm
>●革労協・第四インターに関する決議
>……旧東京地本執行部は、社青同の極「左」主義への変質を目論みつつ、六六年には、一連の暴力的組織運営の決算として、第七回地本大会において一大暴力事件を起こし、組織解散処分を受けた。

>……一、第四インターナショナル日本支部および革命的労働者協会の構成員は、即刻除名とする。
一、第四インターおよび革労協の系列下にある組織(反帝学生評議会、行動委員会等、「プロレタリ ア統一戦線」傘下の諸組織)に関わっていた同志は本決議を認めず、そこから離脱しない場合には 同様に対処する。

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