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2010年5月10日 (月)

いろいろな話

どうもすいません。3月末になったら更新再開すると言ってたのに放置してる管理人です。書こうと思えば色々書けるんですけどね。どうも筆不精でいけません。

で、今日の話はこのブログの根幹に関わる話なんですが、ヘルメットの分類の話です。
以前ブログのTOPに、

現在計XXX種のヘルメットを確認しており、その内XX種をX派XX団体のものと特定してます。

的な事を書こうと思ってたんですが、これが難しい。
同じ(様な)ヘルメットを複数の団体が使っている例があるためで、その例には、大きく分けて二つあります。
一つ目は「無地に全共闘」とか「無地に自治会」(その場合は後ろや横に「○○大」と記入)で、これを一々数えてたらキリがないわけです。同一全共闘内で色だけ異なるケースもありました。(多分あったと思う、あったんじゃないかな、まちょっと覚悟は(ry)
二つ目は歴史的経緯で異なる二団体が同一のヘルメットを使っているケースです。
ex.)現代社派全学連と赤砦社派全学連

それらを「のべ」の表記にして無理矢理数えることも考えたんですけども…。
つまり全く同じヘルメットでも2つの団体が使ってれば二つと数えてしまうということですが、後者はともかく前者を1つずつカウントするのは何か違う気がするんですよねぇ。
まぁ問題の全共闘はアナーキーな面があって、詳しく検証した訳じゃないですが、基本的には日大全共闘みたいに各学部の闘争委員会別にヘルメットが違ったりするほどは組織的にかっちりやってない(やる必要がないという認識だったんでしょうな)ので、前者を例外扱いにした上で「のべ」で表示するのが現状では 最良の案の様に思います。

それとこのブログはHP開設までの繋ぎで作ったわけですが、HPを作る時は五十音順の索引と系統図の二本立てにしようと考えています。ブントとか革共同の系統図は書籍や結構多くのHPで公開されているので、それをお願いして転載して団体名からリンクで飛ぶようにでもするつもりです。

……いつできるかわからないけどね。

あーあと前から気になっているヘルメットがあるんでご存知の方はお知らせいただけるとありがたいんですが、「白地に第一軍団」っていうヘルメットがあります。

私はこのヘルメットが全国全共闘結成以降に編成されたことが推測される全国全共闘軍団のものと考えています。

根拠としては、

①全共闘第三軍団の一枚刷りのビラを確認していること。

②全国全共闘結成以降、70年代最初期の中核派機関紙「前進」の集会報告などで「第○、○、○軍団が…」などと類似の名称が確認でき、しかも参加団体として名前を挙げられる程度の地位を占めていること。(但し列挙されている幾つかの軍団の中核派との関係は不明。番号もバラバラで特別な法則性も無し。)

※ちなみに以上二つの根拠は、最近増えている当時の機関紙誌やビラ類をPDFで公開しているHPで確認。

③(やや前の二者の補強的根拠ではあるが)件のヘルメットが69年9月以降の極々短い時期にしか確認出来ず、前二つの根拠からその存在が類推可能な全国全共闘軍団だとすれば辻褄が合うこと。(全国全共闘はヘゲモニー争いで結成後直ぐに四分五裂したとされその活動は極めて短いため。)

うーん如何でしょうか。推測の域は出ないんですがね。
また全共闘連合のヘゲモニー争いが各軍団のヘゲモニー争いという形で行われたのであれば、中核派機関紙で名前の挙がっている軍団は中核派がヘゲモニーをとった中核派系の軍団と推測できます。

気になったので図書館で全国全共闘の合同縮刷版にも目を通したのですが活字が潰れてて読めませんでした。

他に確認するとすれば「前進」の縮刷版ですか。

あ、問題となっている「第一軍団」のヘルメットは帰宅したらupします。

追記

1969.11.17 佐藤栄作訪米阻止闘争
19691117

1969.11.17 佐藤栄作訪米阻止闘争 池上線ストップ、線路上を蒲田方向へ南下
19691117_2

どうですかね。
他にも後ろに「第三軍団」と入った白ヘルを被る学生の後姿の写真を確認してますが、一般の書籍の章ごとの扉絵だと記憶しているのですが当該書籍名が不明です。探しておきます。

追々記
新しいカテゴリーとして「実物資料」を設けました!






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コメント

全国全共闘軍団は1969.11.17 佐藤栄作訪米阻止闘争に向け中核派が独自に編成した組織、確か第一から第九まであったはずです。
当時中核派は各大学から姿をけし軍団単位で11月決戦に突入しました。
11月主要な戦場であった蒲田周辺には軍団単位で突入しました。

ニャロメ共闘さん

情報提供ありがとうございます。

>全国全共闘軍団は1969.11.17 佐藤栄作訪米阻止闘争に向け中核派が独自に編成した組織

ということは、全国全共闘を構成する各全共闘、自治会、セクトの合意によって結成されたものではなく、中核派の全国全共闘内のフラクのようなものと考えてよいのでしょうか?

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