新規取得資料紹介
twitterの方では随時紹介しているのですが、どうやらあちらを見ていない方も大分いらっしゃるようですのでこちらでも目ぼしいところを一通り紹介することにします。
こちらで紹介した資料は既にPicasaの方でも閲覧可能です。
【名称】共産主義者同盟赤軍派
【ヘルメット】赤地に「赤軍」。
動労ヘルメットとの交換で入手したヘルメット。1977年製なので、よど号(70年)や連赤(72年)の後に国内で活動していた赤軍派のものと思われる。
このヘルメットは05年に管制塔元被告連帯基金運動の際に販売されたもので、『管制塔元被告連帯基金運動 4ヶ月の記録』76頁に写真あり。
【名称】国鉄動力車労働組合
【ヘルメット】白地に鉢巻状青線に「助士廃止反対」。
助士廃止が当局によって打ち出されたのが1967年、1969年にはこれに反発した労働組合側によって大規模なストライキが打たれるに至った。この助士廃止反対闘争時のものと思われる。
紐ヘルではないが、私の所有する80年代の動労ヘルに比べると相違点が多い。
【解放派ゲバスタイル】
・解放派ゼッケン
一枚布に表と裏にガリ版でスローガンが刷られていて、中央部に首を通すための切り抜きがある。売り手によれば1974年頃のものとのこと。この頃の社青同機関紙「団結の砦」はほとんど手元にあるので、スローガンなどから大まかな時期を推定することは可能と思われる。
・社青同東京地本 腕章
・社青同 旗
キュプラの赤い布にスプレーで「社青同」と書かれている。竹竿やバイプにガムテープで付けたとのこと。大きさは約90cm×約70cm。現在でも解放派のデモでは先頭の横断幕や旗の他に沢山の赤旗が翻っている。そのような用途に使われたものと思われる。
ゼッケンや腕章はヘルメットをかぶるような「戦闘的」なデモでは(これの前所有者の活動家は)使わなかったとのこである。その理由は『機動隊に切られてしまうから』だという。当時のデモがどれほど激しいものであったかを物語るエピソードである。
またこのことはデモの際の服装規定がそれほど厳しいものではなかったということをも示唆する。
・ゲバスタイル再現
手元にあった国労中央支部のヤッケに腕章とゼッケンを合わせてみた。なんとなく雰囲気は掴んでもらえるのではないか。
・解放派プロテクター
段ボールに竹を並べ、それを布ガムテープで固定し、それをゴム紐で体に固定するようになっている。競技用なぎなたの防具の脛当てに似る。そもそもは機動隊の装備にヒントを得たものであろうか。
写真のものは腕と二の腕用で、他に肩や脛用の物もあったという。70年代に考案され急速に普及し、簡単な作りながらも十分な効果を発揮したとのことである。
追記
このプロテクターについてだが、似たような代物を同時期以降の中核派も服の下に着用し対カクマル戦に備えていたとのことである。飽くまで革マル派対策であってデモでは着用しなかったそうだ。
追記2
昨日資料紹介-マル学同中核派メット(写真提供)&中核派全学連メット(新規取得資料)を書いている時に赤色土竜党のコンテンツを読んでいたら宣伝戦線第7章「強固な隊列のために」にこのプロテクターに類似するものと思われる防具代用品の記述があったので引用する。
●闘争が激烈になると予想される時は、肩や腹を新聞紙などでしっかりと防護する。また、腕には篭手(ない場合にはガムテープとワリバシで代用)をつける。全身をしっかり守って存分に闘いを遂行しよう!
これで解放派、中核派、第四インターでこういった防具の使用が確認された。
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