僕が共産趣味者になった理由。君を趣味者にしたいわけ。 その7(終)
(その6)から続く
現状は多難である。しかし当時の資料もあまり多くはないが流通しはじめている。それを専門に扱う書店も、私が共産趣味者になったころよりやや増えた。資料が流通する基盤はできつつあり、資料はこれからも手に入りやすくなるだろう。しかしまだ流通が少ないために相場は形成されていない。こういった資料を入手して内容をまとめていくだけでも、放っておけば無くなってしまう歴史を残す作業の一端を担うことができる(気がする)。これは非常に面白いことであるし、共産趣味の醍醐味である。
だが生き証人である当時の関係者から話を聞くことのできる時間はそれほど残されていない。
最近とある全共闘のOB2人と話をした。私は「あと10年が勝負だと思っている」というと「5年だね」と返された。学生運動の画期となった1967年からあと2年で50年となる。それが一つの節目になるといい、それを逃せばみな段々と手を引き、体力的にも2020年ごろが最後になるだろうというのである。既に私がお目にかかった人も1人鬼籍に入った。ほかの人も多かれ少なかれ加齢によって体調を崩しているようだ。残された時間は短いのである。
前々から温めていたことも話した。当時の関係者を一堂に会しつつ、実際の資料や写真なんかを肴にして話して貰えれば、かなり面白いことができるのではないかというアイディアである。これは恐らく前例のない試みだと思う。一つの闘争に関する各派機関紙を集め、参加した者、当時獄中にあった者、それぞれの党派隊列に居て行動した者など、資料を前にしてそこで思い出すこともあるかもしれないと考えたのである。
やはりアイディアとして面白いとは言われたが、非常に難しいことだともいわれた。確かに大変な労力が要ることだと思う。
私も転勤族だし忙しい業界の働き盛りの年齢だから時間はそれほど割けない。そのことは私が関係している全共闘OBたちもわかっているが、当時のことを資料として残していくために若い人の助力を必要としている。
直接助力する必要はない。こういったことに興味を持ってくれたのなら、共産趣味者としてその界隈で活発に活動するだけでいい。どうしてもこういった政治的なことと関係することは敬遠されがちである。あまり大っぴらにいえる趣味でもない。だが、この趣味の世界に入ってくれるなら、そこで楽しく趣味を続けてくれるのなら、資料の流通も多くなるだろうし、当時のことを語ろうという人も増えるだろう。人の耳目を詰めるためには、やはり人が不可欠であると思う。
もちろん直接助力したければしてもいいが、彼らは反原発運動や戦争法案反対など現在も政治活動をしており、政治的に相反するところもあるだろう。私も政治的には全く相反するところに位置している。政治運動体としての側面を有するところと関与したくないという気持ちは私も未だ持っている。そういったところをはっきりとさせて、飽くまで昔のことを調べまとめるためだけに関与するというのならそれもありだと思う。
もし若い人の助力を本当に必要とするのならば、受け皿が必要だと考えている。飽くまで純粋学術的に証言を収集し、各種資料を電子的にで良い。蓄積して共有する場所が、である。
だが、数十年を経て再び集まった当時の活動家たちは政治運動を再開してしまった。あまり当時のことを残すことには熱心とは言えない。こういった状況について当時の関係者から何らかの呼びかけがなされなければ世代を超えた研究は難しいと思ってる。だがそれもまた選択だとも思う。
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