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2015年10月18日 (日)

僕が共産趣味者になった理由。君を趣味者にしたいわけ。 その6

君を趣味者にしたいわけ。

その5)から続く

私の共産趣味の興味の範疇である新左翼は、精々数十年前のことなのに当時の党派機関紙誌という量産された印刷物ですら国会図書館にも断片的にしか収められておらず、物の本にも記録されていない部分がまだまだ多く残されている。関係者も続々と鬼籍に入っている。関係者の死は体験者の声を聴けなくなるという意味で一つ大きな損失であるが、また一方で体験者が大事に資料を持っていたとしても家族が遺品整理で捨ててしまい、資料が永久に失われてしまう恐れもある。遺族にとっては書画骨董ですらガラクタとして人手に渡ることはままあることだ。わら半紙や粗悪な酸性紙に印刷された昭和40年代の紙資料やペンキで塗ってスローガンを書いたヘルメットなど何をかいわんやということである。

とても過激な事件を起こした連合赤軍や日本赤軍、よど号グループや、それらを生み出した赤軍派、連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線に関する書籍は多い。凄惨な内ゲバを繰り返した中核派や革マル派も同様である。だが多くの党派を生み出した共産主義者同盟(ブント)の名を知る人は少ない。「赤軍派」という言葉を知っている人は多いだろう。ただ「派」という位だから、なんらかの組織の分派だということは想像がついても、それがなんと言う組織かは知らないのである。それだけ語られてこなかったし、気にも留められていなかったのかもしれない。

70年代中ごろ以降のブントの分派はそれこそ星の数ほどあるだろう。だが記録されていないのである。

これは大学闘争について顕著である。

東大闘争は東大全共闘代表だった山本義隆氏が大変な苦労をして当時の関係者からビラなどを集めた結果、それなりの数の資料が集まり、資料集として国会図書館や大原社研に収められた。日大全共闘は今同窓会のような形で資料を収集し、そう遠くないうちに佐倉の博物館で展示をやるという話を聞く。

他の大学でもその規模には違いこそあれ、学生運動があった。だが知られていないのである。このことを痛感したのは偶然見つけたYahoo!知恵袋の質問である。

約35年前の南山大学の学生運動について情報を持っている人がいらっしゃいました...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111354891

南山大学の学生運動について情報を募る質問者に対して、唯一にしてベストアンサーとなったのは「そんな田舎の5流大学のこと、話題にもならないよ。残念ながら。」という冷たいながらも全く現状を正確に捉えた回答であった。5流大学云々は別として、日大全共闘や東大全共闘以外の全共闘は話題にならないし、話題にしようにも資料がないのが現状なのである。

高校生運動もまた同じような状況である。私は共産趣味者になったとき高校生だったし、わが母校の中庭は由来は不明ながらも「赤の広場」と呼ばれていたから、高校生運動にも興味を持った。だが資料がなかった。党派の高校生組織も反戦高協や反戦高連ですら情報は少なかったし、個々の学校の運動にしても似たようなものだった。現在は中公新書から『高校紛争19691970』という書籍がでて、幾らか状況は変わったが、それでもまだ資料が中々ないことに変わりはないのである。

(その7)へ続く

 

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