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ゲバスタイル

2015年10月12日 (月)

僕が共産趣味者になった理由。君を趣味者にしたいわけ。 その2

その1)から続く

 マル共連は既に更新を停止していたし、マル共連フォーラムもあまりにもニッチな話題ばかりになってしまっていて初心者の趣味者には入り難い雰囲気があった。2chの共産板も似たようなものだった。

 そんな中で私が強く惹きつけられたのはヘルメットだった。ヘルメットは今も私の興味の主要な部分を占めているが、その原点はマル共連のヘルメットで見るセクト(現在リンク切れ。web archiveから閲覧可能。)だった。このたった1ページしかないコンテンツを食い入るようによく見ていたことは今でも覚えている。

 このページには『当時の写真資料を見ると、もっと多くのヘルメットが存在しますが、団体を特定できないので掲載はやめました。』という一文があった。ヘルメットに興味を抱いた自分は、「いつかこの『ヘルメットで見るセクト』を引き継ぎ超えるようなページを作るんだ!」と思い立って、当時の映像や写真を調べ始めた。今は私がHPなどでアップしていることもあって沢山あるが、当時ヘルメットの写真は調べてもあまりネット上にはなかったのでひたすら文献調査に取り組むしかなかったのだ。

 まずは「ヘルメットで見るセクト」でイラスト化されているヘルメットを写真で確認しようと当時の写真集なんかを学校の図書館や、学校の横にある大学図書館で調べてみたが興味は増すばかりで、学校にはない写真集を見に千葉県立西部図書館にも足を運んだ。
 しかしそれでもまだまだ見つからないヘルメットがあった。そのあとは少し知恵を使って大学図書館のアサヒグラフ誌をひたすら見たりしたのだが、この過程では多くの正体不明のヘルメットを見つけたり、名前は出てくるけどヘルメットの写真が見つからない党派を見つけてちょっとがっかりしつつも一層興味が燃え上がった。

実は「ヘルメットで見るセクト」でイラスト化されたヘルメットの中でも、白ヘルの「民学同」と、黒ヘルの「プロ軍団」は見つかっていない。それらしいものや見切れているものはあるのだけど。

 色々調べても見つからないとなると、今度は一次資料を見るしかないと思うようになった。だが、機関紙やビラを所蔵している図書館なんてない。国会図書館にはあると判ったのだがまだ年齢的に入れなかった。よくよく調べると郷土史の関係で、三里塚闘争の舞台となった私の住む千葉県の中央図書館には第四インター機関紙「世界革命」の縮刷版があると知って見に行ったが、縮刷版を捲くる度にまた知らないヘルメットを見つけたりと、興味はますます広がっていった。

 機関紙といえばマル共連には「各派機関紙紹介」(現在リンク切れ。web archiveから閲覧可能。)というのもあって、しかもこれらの機関紙の殆どは新宿の模索舎という書店で買えると知った。自分も機関紙を手に入れたいと模索舎の前まで勇気を出して行ってみたが、いざ入るときは正直怖かった。その扉の向こうにはテロ・ゲリラをするような活動家のたまり場になっているのではないかと勝手な妄想をしていたし、マル共連フォーラムの過去ログで過激派の動向を探るべく公安が出入りしていると聞いていたから、自分も公安に誰何されるのではないかとかいろいろ考えてしまっていたのである。

しかもよりにもよってその日模索舎は「恐れることはありません」なんていう無責任な札を閉まった扉にかけていたものだから、どうにも目の前のその扉を開けるには勇気が要ったのである。

(その3)へ続く

2012年7月 8日 (日)

おすすめ書籍等々

最近ブログ版を更新してませんね。申し訳ないです。
日々のつぶやきはtwitterでやってしまっているので、どうもブログ用に文章を書くということがなくなってしまいました。
当時ものの写真とか、実物資料とかのアップロードもtwitterの方でやってしまうことが多いので、これについてはtwitterを見ていらっしゃらない方には申し訳なく思っています。

twitterでアップロードした写真なんかは、基本的には下記URLから参照可能ですが、私のとった写真や私の公開した写真だけでなく、私のRTした写真も含まれていますのでこの点についてはご注意ください。
https://twitter.com/#!/front_chiba/media/grid

ということで、まぁネタは色々あるんですが、今回は最近でた良い書籍類についてご紹介したいと思います。

書名をクリックすると、模索舎の販売ページに飛びます。
模索舎は経営難が常態化してますのでLink先から買って貰えると嬉しいです。
私のところにはキックバックも当然なく、アフィリエイトでも何でもないのでご安心ください。

Dscn0126_2
『山谷への回廊 写真家・南條直子の記憶1979-1988』
 2012年/A5変形/
258頁/¥2,500

 良い写真集だ!ということで話題沸騰です。私も太鼓判を押します。
 内容は良くわかんないけど最初の方に右翼関係の写真がありまして、そのあとが山谷の日常、山谷での日雇い労働者の運動、といった構成です。
 聞いた話ですが、限定300部らしいです。内容も良く、少数部発行なのにこのお値段はお買い得です。


Dscn0128
『全軍労・沖縄闘争 比嘉豊光写真集』
 2012年5月/
B5/
352頁/¥4,200+210

 これも非常によい写真集です。全軍労ものの写真集はヤフオクとかで5000円を超える様なもの(空軍支部の出したやつ)とか、現在の全駐労沖縄地本が90年代半ばに出した『全軍労・全駐労沖縄運動史』の三冊組の一つとかのほかは、沖縄関係の写真集にちょろっと出てくる程度だったのですが、これ一冊買えば十分満足できる内容になっています。
 値段はありていに言えば確かに高いのですが、写真集としては普通の値段ですし、中々大きな本ですし、それだけの内容ですので、ぜひ一冊お手元に置いておかれることをお奨めします。


〈DVDブック〉小川プロダクション『三里塚の夏』を観る 映画から読み解く成田闘争
 2012年5月/192頁/¥3,333+167

 ついに小川プロの映画がDVDであなたの手に!ということでこれも話題になりました。写真がないのは私がまだ買ってないからです。ソンナニカネネーヨ…。
 小川プロの映画はアテネ・フランセでわりと良く上映会をやってますので、気になる方はそういった機会に見に行けばよいかと思います。


Dscn0129
『六〇年代社青同(解放派)私史』,樋口圭之介著
 2012年7月7日(←昨日だよ!)/290頁/¥2500+税

 はいっ!真打ち登場です。
 なんと昨日発行!書店に並ぶのはまだまだ先!模索舎にだけ先行入荷しております!
 私もまだ内容をキチンと読んでませんが、パラパラ見ましたけど理論的な問題だけを長々と扱っているのではなく、歴史について書いてまして、読みやすいです。多分。
 写真もわりと豊富です。
 著者の樋口圭之介氏は社青同東京地本委員長にして後の解放派社青同(革労協パージを受けた為に、1970年に解放派が独自に再建。)委員長であった方です。
社青同の歴史の概略についてはボリューム(E:)でも簡単に歴史を紹介しているので是非ご覧ください。
 こちらの書籍は模索舎HPに販売のページがありませんが、入荷はしてますので電話かメールで注文して下さい。
⇒HPが更新され、販売のページができました。

 まぁこんな感じですかね。とりあえず詳細情報が出てないので以下に目次と奥付の写真を上げておきます。

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2011年10月 2日 (日)

資料紹介-マル学同中核派メット(写真提供)&中核派全学連メット(新規取得資料)

私の友人、というよりは先輩と言った方がしっくりくる人でMさんという人がいる。彼は昨年の京大の11月祭でマル学同中核派のヘルメットを中核派の人から直接貰って帰ってきていた。先日、私が中核派全学連のヘルメットを手に入れる機会があり、思い立って写真の提供とブログ等での公開許可をお願いしたところ、快く引き受けてくださり、そのための写真を撮って送ってくださった。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
私が全学連メットのきちんとした写真を撮ったら記事を立てて紹介しようと思ったのだが、先週から体調を崩しており、写真をまともに撮れなかったので、先にアップした写真をそのまま使うことにした。近い内に新たに写真を撮り直して差し替えるのでご容赦願いたい。

マル学同中核派メット(所蔵・撮影M氏) 転載不可 Imgp3718 Imgp3720 Imgp3722 Imgp3723


 中核派のヘルメットの完成は遅かった。正確に言えばヘルメットの正面のデザインの統一は主要党派の中では遅かった。そう言って差し支えないように思う。本格的に「中核」のメットが用いられて以降、「白地に『中核』」という基本以外の細かなデザインというのはまちまちであった。比して革マル派全学連は、「白地に鉢巻状赤線『Z』」という基本に関して、赤線はビニールテープを用いることから形が一定していたし、「Z」の字は書き易いからある程度デザインが収斂というか安定するのが早かった。(訂正:安定するというより、「字が単純だから多少ばらつきがあっても目立たない」という方が正しい。ただし、かなり早い時期からヘルメットの側面に「革マル」と書くのが共通化している。)

1969.12.14 糟谷人民葬 約1,000名の革マル全学連は日比谷野音へ突入の構え

19691214_1000

 それに比べると「中核」という字はなかなか難しい。「中」のデザイン、即ち「口」の部分を大きく書くというのは70年代に入るか入らないか位に定まったような印象を受けるが、なお書き手によってばらつきがあった。これが完全に安定したのがいつ頃かはわからない。

 ヘルメットを使ってセクトはそのセクト名を大衆に示す。その意味でヘルメットは大切である。デザインがヘルメットによってばらばらだと、隊列としての統一感や迫力に欠ける。だからヘルメットのデザインの統一は自然な流れであった。
 ヘルメットのデザインの統一の先駆け的存在はML派であったように思う。他党派は労働者、学生、高校生でヘルメットの基本のデザインが異なる。これに対して、ML派は全体の人数が少ないからか、労働者戦線(LFL)も学生戦線(SFL)も高校生戦線(HFL)も同じモヒカンのヘルメットをかぶり、小さく略称を記した。

1970.06.23 6.23総行動 火炎びんを持ち、鉄パイプで武装して会場を出発したML

19700623_623ml

 後年、第四インターは「学生共闘」「青年共闘」などのシールを作成し、完全に同じデザインのヘルメットを被らせた。(このことに関しては赤色土竜党ヘルメット用ステッカーシールについてに詳しい)

 第四インターなどがヘルメットのデザインを統一したのには、ヘルメットに違いがあれば、逮捕された際に証拠写真等から個人を特定され易いという理由もあった。(前掲リンク参照)事実、導入の時期は不明だが第四インターが三里塚において多くの実力闘争を闘っていた頃の写真を見るとシールが使われており、ヘルメット間に個体差はない。

 第四インター以外の党派で、通常のヘルメットのデザインが全体的に統一されているとは言い難い党派でもバイクヘル(ジェットヘル)を用いた本格的な闘争用のヘルメットは統一されていたように思う。これについては85年の10・20成田現地闘争に労働者として中核派から参加したアッテンボロー氏のブログ、アッテンボローの日記帳内の記事、「10・20三里塚闘争」に言及があるので該当部分を引用する。

(前略)
検問の機動隊員が「おい、新品のヘルメットだぞ」と驚いて同僚に話していた。この日のために用意されたバイク用のヘルメットだった。集会場に着くと選抜メンバーにはバイクヘルとゴーグル、雨合羽が支給された全員がヘルメットに「中核」と書く様に言われた。学生と労働者の区別がつかない様にするためだ。
(後略)

 「反戦」という労働者用のメットや「中核」という学生用のメット、「全学連」「自治会」などのメットを使い分ければ、逮捕必至の闘争での完全黙秘戦術の意義を多少なりとも失わせかねない事が理由であろうか。もちろん隊列を組んだ時の統一感というのもあっただろう。新品を用いたのは余計な後ろや左右の書き込みから個人が特定される(訂正:関係先がバレるとガサの対象になったり、参加者の身元が割れやすいというのが正確な表現か。「京大」とか書いてあれば、京大内の拠点がそれを口実にガサ入れられるだろうし、京大生或いは京都周辺の活動家かもしれないって推定される恐れがある)ことを避けるためであろう。

 このような本格的な闘争に用いたものに比して、普段使いのヘルメットには(正面のデザインに個体差がなかったとしても、後ろや左右の書き込みに)結構個体差がある。確かに弾圧対策の面での能力は多少劣るだろうが、こういったヘルメットは自弁ではなく共有物であった為、いつも同一人物が同じヘルメットを使ったわけではないから、その日逃げ切れば個人特定は困難で正面以外の部分に個体差があっても差支えなかったのだろうと思われる。

中核派全学連メット(所蔵・撮影 管理人:有坂賢吾 Dsc_1656 Dsc_1658 Dsc_1666 Dsc_1669 Dsc_1672



参考:中核派全学連メット個体差比較(有坂所蔵及び京大哲研公式アカウント様提供)
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正面の「全学連」がほぼ一致していることが分る。これが先述の「正面のデザインの統一」である。

 

2011年8月30日 (火)

新規取得資料紹介

twitterの方では随時紹介しているのですが、どうやらあちらを見ていない方も大分いらっしゃるようですのでこちらでも目ぼしいところを一通り紹介することにします。
こちらで紹介した資料は既にPicasaの方でも閲覧可能です。

【名称】共産主義者同盟赤軍派
【ヘルメット】赤地に「赤軍」。

Photo

動労ヘルメットとの交換で入手したヘルメット。1977年製なので、よど号(70年)や連赤(72年)の後に国内で活動していた赤軍派のものと思われる。
このヘルメットは05年に管制塔元被告連帯基金運動の際に販売されたもので、『管制塔元被告連帯基金運動 4ヶ月の記録』76頁に写真あり。


【名称】国鉄動力車労働組合
【ヘルメット】白地に鉢巻状青線に「助士廃止反対」。

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1

助士廃止が当局によって打ち出されたのが1967年、1969年にはこれに反発した労働組合側によって大規模なストライキが打たれるに至った。この助士廃止反対闘争時のものと思われる。
紐ヘルではないが、私の所有する80年代の動労ヘルに比べると相違点が多い。

【解放派ゲバスタイル】

・解放派ゼッケン

2_3 1_2

一枚布に表と裏にガリ版でスローガンが刷られていて、中央部に首を通すための切り抜きがある。売り手によれば1974年頃のものとのこと。この頃の社青同機関紙「団結の砦」はほとんど手元にあるので、スローガンなどから大まかな時期を推定することは可能と思われる。

・社青同東京地本 腕章

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・社青同 旗

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キュプラの赤い布にスプレーで「社青同」と書かれている。竹竿やバイプにガムテープで付けたとのこと。大きさは約90cm×約70cm。現在でも解放派のデモでは先頭の横断幕や旗の他に沢山の赤旗が翻っている。そのような用途に使われたものと思われる。

ゼッケンや腕章はヘルメットをかぶるような「戦闘的」なデモでは(これの前所有者の活動家は)使わなかったとのこである。その理由は『機動隊に切られてしまうから』だという。当時のデモがどれほど激しいものであったかを物語るエピソードである。

またこのことはデモの際の服装規定がそれほど厳しいものではなかったということをも示唆する。

・ゲバスタイル再現

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手元にあった国労中央支部のヤッケに腕章とゼッケンを合わせてみた。なんとなく雰囲気は掴んでもらえるのではないか。

・解放派プロテクター

2_4 3

段ボールに竹を並べ、それを布ガムテープで固定し、それをゴム紐で体に固定するようになっている。競技用なぎなたの防具の脛当てに似る。そもそもは機動隊の装備にヒントを得たものであろうか。

写真のものは腕と二の腕用で、他に肩や脛用の物もあったという。70年代に考案され急速に普及し、簡単な作りながらも十分な効果を発揮したとのことである。

追記

このプロテクターについてだが、似たような代物を同時期以降の中核派も服の下に着用し対カクマル戦に備えていたとのことである。飽くまで革マル派対策であってデモでは着用しなかったそうだ。

追記2

昨日資料紹介-マル学同中核派メット(写真提供)&中核派全学連メット(新規取得資料)を書いている時に赤色土竜党のコンテンツを読んでいたら宣伝戦線第7章「強固な隊列のために」にこのプロテクターに類似するものと思われる防具代用品の記述があったので引用する。

●闘争が激烈になると予想される時は、肩や腹を新聞紙などでしっかりと防護する。また、腕には篭手(ない場合にはガムテープとワリバシで代用)をつける。全身をしっかり守って存分に闘いを遂行しよう!

これで解放派、中核派、第四インターでこういった防具の使用が確認された。

2011年8月28日 (日)

京都大学のヘルメットいろいろ

私がtwitterをやっていることをご存知の方も多いかと思いますが、相互フォローの関係にある京大哲学研究会公式アカウント様のご厚意でヘルメット写真の提供を受けることができました。ありがとうございます。

提供していただいた写真は非常に鮮明で資料性の高い写真ですので公開します。(というか、twitterで私をフォローして下さっている方は既にご覧になっていることでしょうけども)

私が京都大学の学生運動に疎いのでほぼ画像の羅列になってしまいますが、ご容赦ください。

【名称】京都大学哲学研究会
【ヘルメット】黒地に「哲研」。後ろに「京大」。

今回写真を提供して下さった京都大学哲学研究会公式アカウント様のヘルメットです。
写真を見るとわかるようにほぼ未使用で、内装から判断する限り最近の物と思われます。
公式HPはこちら→http://sites.google.com/site/kyototekken2011/

正面
Dscf0769

右側面
Dscf0771

後部
Dscf0773

左側面
Dscf0775

上部
Dscf0778

内装
Dscf0779

【名称】全日本学生自治会総連合(織田委員長)
【ヘルメット】白地に「全学連」。

最近、俳優の山本太郎さんと瓜二つと評判になったり、革共同政治集会で基調報告をしたりと何かと話題の織田委員長率いる全学連、通称中核派全学連のヘルメットです。
公式HPはこちら→http://www.zengakuren.jp/wp/

最近あんまり被らないイメージがあります。中核派系は。だけど西の方だと割と被ってるようですし、関東でも法政がらみのデモでも被ってるようです。三里塚では必ず被ってますね。

正面
Dscf0744

右側面
Dscf0750

後部
Dscf0747

左側面
Dscf0746_2

上部
Dscf0752

内装
Dscf0755

 

【名称】京都大学熊野寮自治会
【ヘルメット】白地に「熊野」。

黒地に「熊野」のヘルメットも見たことがあります。気になる方は昔(2000年代で十分)の前進か警察白書を見ると、見つかるはずです。京大哲研公式アカウントの担当者が熊野寮の方で部屋にあったので撮って下さったとのことです。残念ながら熊野寮自治会に関する細かな歴史等は勉強が追い付いていないためわかりません。

余談ですが、(熊野寮ではなく)吉田寮の方に訪問した際に『ヘルメットは今でもかぶりますか?』との質問に、案内して下さった寮生の方は『熊野寮に襲撃(ストーム)をかける際にはかぶります』と答えてくださいました。

正面
 Dscf0710

 右側面
Dscf0715

後部

Dscf0713

左側面

Dscf0712

上部

Dscf0721

裏面

Dscf0723



【名称】京都大学教養部
【ヘルメット】クリーム地に鉢巻状黒細線2本に帽章(詳細不明)。

京都大学教養部のヘルメット。当局側のもの。昭和58年12月の製造で、防災用途なのか、それとも学生と対峙する為なのかも不明。

正面
Dscf0757

右側面
Dscf0763

後部
Dscf0734

左側面
Dscf0759

上部
Dscf0765

内装

Dscf0766

保管状況(名前が書いてあったので消してあります)
Dscf0781_2

すいません。特段の解説等の準備はありませんが、一次資料としての価値が大変に高いので不要かもしれません。

終わりに、今回の貴重な画像を提供して戴いた京大哲学研究会公式アカウント様に重ねて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

詳細な画像が、Picasaでも閲覧可能です。

2011年6月26日 (日)

NAA 空と大地の歴史館 訪問記

昨年末に空と大地の歴史館の開館がアナウンスされてから、一体どの様なものが出来上がるのか気になっていたので行ってきた。

芝山にある航空科学博物館の敷地内にあるが、HPが今のところないので、アクセスに関しては航空科学博物館のHPを参照してほしい。
私はJRの成田駅まで行って、京成成田駅まで歩き(徒歩3分)そこから芝山千代田行きの芝山鉄道直通電車に乗った。連絡が非常に悪いし本数も少ない上に芝山鉄道直通電車は、休日と平日で別のホームから発車するので注意。

私が行ったのは日曜なので2番線から。Dsc_0299

芝山千代田駅着。所要時間10分ほど。

Dsc_0361_2Dsc_0357 Dsc_0308kai

延伸予定があるので下から見るとこうなっている。Dsc_0317

延伸推進の看板。
Dsc_0309kai

芝山千代田駅からはバスが出てるのでこれに乗車。歩いていけない距離ではないが、これからのシーズンは暑いだろうと思う。Dsc_0323kai

航空科学博物館着。入口のゲートのところに看板はあるものの、「空と大地の歴史館」の場所はわからない。
Dsc_0330kai

航空科学博物館の施設案内図。図内には記載がないが、駐車場の右下あたりに存在する。
Dsc_0328kai

そっけない立て看板。まるで場所がわからないが、駐車場の中を歩いていく。
Dsc_0329kai

駐車場の奥に小さな目立たない建物。これが空と大地の歴史館である。
Dsc_0332kai

さて、まず大前提として一つだけ確認しておく。このブログは政治的なものではない。政治的な観点からの評価はこのブログには書かないし、また私見だが反対派にとってはこの施設は別に現地に行かずとも十二分に評価可能な程度の代物であると考えている。

毎日新聞だけが反対派の意見も載せていたので引用しておきたい。

―――――――――――――――――――――――――――――

◇努力に感謝する--県議、国会議員として反対し、成田市長として共生を進めた小川国彦氏(78)の話
 ここまでこぎ着けた努力に感謝する。反対運動もあり問題は解決していない。公共事業や共生のあり方を考えるきっかけとなると思う。運動に関わった人は多く、限られた展示で表し切れない。多くの思いや意見、資料を一層集積し伝える拠点となってほしい。

◇反対運動は進行中--三里塚芝山連合空港反対同盟北原派事務局次長、萩原進さん(66)の話
 反対運動は終わったと広めたいのだろう。だが、運動は進行中で、大事な局面を迎えている。今、福島第1原発事故の被害などで、全国的に国の事業を見直す時期にも来ている。歴史館などとんでもない。作るお金があるなら、被災地に回せと言いたい。

―――――――――――――――――――――――――――――

共産趣味の観点から見てみても展示資料はここでなくては見れない貴重な資料が多い。
当ブログで主に紹介している「ゲバスタイル」はその一つで、実物のヘルメットやゲバ棒(鉄棒)、目出し帽、ゴーグルなどいずれも貴重な資料である。
ヘルメットは計22個展示されていた。出来れば写真で紹介したかったのだが、残念ながら撮影禁止であった上に、一切説明もなく、また展示目録も発売されて無い。仕方ないので現地で一時間かけて22個のヘルメットを一つずつメモしていった。それを解説を交えつつ紹介する。

凡例

紐ドカヘル:紐が鉢巻状に通してある工事用ヘルメット。
ドカヘル:いわゆる「MPタイプ」と称される工事用ヘルメット。
半帽ヘル:お椀を伏せたようなタイプのバイク用ヘルメット。半帽などと称せられる。
ジェットヘル:新左翼関係の文脈で「バイクヘル」と言う場合には大概このタイプを示す。管理人のPicasaで公開中の第四インター系「三里塚空港粉砕全国学生共闘」のヘルメットがこのタイプ。


では展示されていたヘルメットを見ていこう。

反対同盟のヘルメット

・白無地、紐ドカヘル
【来歴】
 反対同盟の小川氏所有品。逮捕された際に押収され後に返還された物で検察のタグが付いたまま展示されていた。

・白地に黒で「少行」
、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 反対同盟農民の子ども達によって組織された「少年行動隊」のヘルメット。同盟休校などを行った外、直接的な行動にも参加した。

・白地に黒で「空港絶対反対」半帽ヘル
白地に黒で「空港粉砕」、後ろに黒で「青行隊」、紐ドカヘル
白地に黒で「空港粉砕」、後ろに黒で縦書き「東峰」、紐ドカヘル
白地に黒で「空港絶対反対」後ろに黒で「成田反対同盟」、紐ドカヘル
白地に赤で重なった「○○○」後ろに黒で「反対同盟」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 いずれも反対同盟のものと思われるヘルメット。「青行隊」は「青年行動隊」の略称。三つの重なった輪は反対同盟のマークで、反対同盟旗に染め抜かれているものと同じもの。

支援党派・支援者のヘルメット

・赤地に黄色デカールで「★」、ジェットヘル、2個
・赤地に黄色デカールで「★」、ジェットヘル(白ひさし付)、
2個
・赤地に白で「プロ青同」、紐ドカヘル

【管理人コメント】
 支援党派「共産主義労働者党」の青年団体「プロレタリア青年同盟」のヘルメットと、同青年団体が組織した「三里塚を闘う青年先鋒隊」のヘルメット。1978年3月26日の管制塔占拠党派の一つで、管制塔占拠部隊の中に同じヘルメットを被った者も居た。

・赤地に白で「反戦」、後ろに白で「プロ青同」、紐ドカヘル
【管理人コメント】前述の「プロレタリア青年同盟」
のヘルメットか、或いは共労党影響下の反戦青年委員会かも知れない。もっとも共労党影響下の反戦青年委員会があったかどうかは寡聞にして知らないが、「反戦」とあるからと言って反戦青年委員会のヘルメットと断定するのも短絡的であろう。

・赤地に黒の白縁で「婦人通信」、ドカヘル
【管理人コメント】
 支援党派「日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)」系の冊子『婦人通信』の「『婦人通信』編集委員会」が呼びかけて集まった全国の戦闘的婦人によって組織された。(1978/4/3付 『世界革命』第517号 三・二六開港阻止決戦勝利報告特集号に記載あり。)

・青地に黒で「反戦」
【管理人コメント】
 支援党派「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」影響下の大衆団体「反戦青年委員会」のものと思われるヘルメット。

・黒地(赤地の塗直し)正面難読。左側面に白で「解放」半帽ヘル
【管理人コメント】
 唯一文字が判別できなかったヘルメット。

・白地に赤いビニールテープで「✚」、左側面に黒で「救護」、ドカヘル
・銀地に赤いビニールテープで「✚」、左側面に白いビニールテープで「野戦」、
後ろに赤いビニールテープで「✚」、ドカヘル
【管理人コメント】
 おそらく三里塚野戦病院の活動家のものと思われる。当時の写真を見るとそれなりの人数がおり、青医連の活動家なども参加してデモ隊との衝突による負傷者の救護に当っていた。

・赤地に黒の白縁で「合宿所」、後ろに黒の白縁で「弁当隊」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 三里塚の労農合宿所に所属していた活動家のものであろう。弁当隊ということは非戦闘員で炊き出しを担当していたのだろう。

・黒地に白で「反战」、左側面に白で「7」、右側面に白で「叛乱」、ドカヘル

【管理人コメント】
 ノンセクト系の活動家だろうか。詳細不明。

・白地に青で「全共闘」左側面に青で「応化」、その上に黒で「応斗委日和見派」、後ろに赤で「震研斗争勝利」、右側面に青で「応化」その上に赤「反帝」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 このヘルメットは東大全共闘のものではないかと思っている。以前ヤフオクに東大地震研闘争に関する本が出ていたのだが、寝過ごして入札できなかった。

・赤地に黒で「連帯」、後ろに黒で「連帯自治会」、その上に黒で「現闘(門構えに斗)」、紐ドカヘル

【管理人コメント】
 どこかの党派或いはノンセクト系の自治会で現地に常駐していた活動家のヘルメットだろう。

以上が展示品のヘルメットの全てである。反対運動初期の襷や鉢巻、その他実物資料が展示してあるので、一見の価値はある。しかしそれはこの歴史館のコンセプトの正当性を担保し得るものではない。

参考(追記2011.10.06付)

来場者アンケート(手元の資料整理してたら出てきたので公開)

Img021

2011年5月18日 (水)

【速報】全学連(伍代委員長)、公式HPを開設

全学連(伍代委員長)、通称:革労協現代社派全学連が公式HPを開設したことを確認したので、お知らせします。

全学連(伍代委員長) 通称:革労協現代社派全学連
http://zengakuren.info

ちなみにですが、下記に現代社派以外の全学連を自称している団体のHPを列挙しておきます。
通常全学連は、委員長の名前で区別するので、公式でも「全学連(○○委員長)」という風に表記しますが、民青全学連はそのような形式をとっていないようです。しかしながら今回は便宜的に委員長名で表記しました。

全学連(小山委員長藤浦委員長 通称:民青全学連
http://www.zen-gakuren.jp/

全学連(織田委員長) 通称:中核派全学連
http://www.zengakuren.jp/

全学連(奥野委員長) 通称:革マル派全学連

http://www.zengakuren.org/

全学連(円谷委員長) 通称:革労協赤砦社派全学連
ホームページ未確認

追記2011.05.21付

どなたか「ホントにこれ現代社派全学連の公式HPなのか?」「証拠出せよ!」位な事を言って下さればよかったのですが、まさか現代社派の名前を騙ろうだなんて奴は居るわけがないし、あんな雰囲気のHPは現代社派しか作れないであろうことは明白なので、皆さん特に疑うこともなく信じて下さり、それにより私が証拠となる写真をアップロードする機会を失してしまいましたので、行き場を失った証拠写真を一応掲載することにします。

それがこれ↓

Ws000017

正直我が目を疑いました。

言い忘れてましたけど、

全学連(伍代委員長)公式HP開設おめでとう!

追記その2

呉々も言っておきますが、私は革労協現代社派シンパではないので。フツーの共産趣味者です。ですので、もし赤砦社派が全学連HPを開設したら同じような記事を書くでしょうね。


追記その3 2011.05.29付

民青全学連の委員長がいつの間にか小山農さんから藤浦修司さんに代わったことが発覚。
でも全学連HP見ても執行部人事がいまいち解らん。そんなことやってから解散が発議されるような加盟自治会が(自主規制)

2011年2月14日 (月)

日本の学生運動に関する記述のあるフランスのブログ

アクセス解析かけてるといろいろなところからリンク貼られてるのがわかるんですが、まさかの海外からも。

それがこちらのフランスのブログ→Feuilles d'érable et chrysanthèmes

中3の時に必修で、高1の時に選択でフランス語を採り、高1の2学期の期末試験でバックれた私にはフランス語なんてトンとわかりませんが、excite翻訳先生の力を借りたら、そりゃあめちゃくちゃな日本語にはなりますが、「今の日本ではデモなんかにも遭遇しませんし、きっちり官憲に規制されてます」みたいな話から始まって、日本の戦後史の概観までしてます。革マル派とかもきちんと読めてるんで、筆者がどのような方かは存じ上げませんが、日本語も堪能で、おそらく学生運動の知識もかなりお持ちの方とお見受けします。

それ以外にも見つけたものがありまして、日本の学生運動なんて日本国内でもおよそ学問的に確立しているとは言えないものを研究している方もいるようで、古い書き込みですが紹介します。というか僕が趣味者になる以前の書き込みですが。

全学連と論文のお手伝い
http://www.forumjapon.com/forum/viewtopic.php?t=5987&sid=bc49ece5ad092dc8dd96bc5a94b1de32

 うーん。面白いですね。逆にフランスの5月革命の研究をしている日本人だったらたくさんいる気がします。たぶん日本の学生運動研究している日本人より多いと思う。良く知らないけど。

追記:手持ちの実物資料をPicasaにアップしてありますのでよろしければご覧ください。

ただ、紙資料は収拾がつかないので、いずれリストでアップします。


質屋

2010年12月11日 (土)

古書「赤いドリル」さんに行く

あんまりこういう記事を書くことはないかと思いますが…。

下北沢の古書店(&BAR)「赤いドリル」さんへ行ってきました。

日記へ取り上げた時点で薄々お分かりでしょうが、「赤いドリル」さんはただの古書店ではなく我々の共産趣味と非常に近い位置にあります。

HPのPROFILEより一部を抜粋します。

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(前略)

浅間山の麓に篭城しながら、その美しさに気づく余裕もなく、ここまで追い詰められた25歳の若者の青春を想像し、その 後38年拘束されて63歳になろうかという男が最後に見た自然らしい風景が催涙ガスに煙る浅間山だったことに思いを馳せたとき、ぼくの連合赤軍関連本や資 料収集の日々ははじまりました。それまでも寺山や唐十郎、アラーキーなどなど目当てに古本屋に通っていたわけですが、「連合赤軍事件」を通して、ぼくは古 本屋と出会いなおし、1960年代や70年代と出会いなおし、さらに言えば「本」そのものと出会い直し、細かいことは端折りますが、いつか「連合赤軍事件 で目録を作ろう」とライフワークをさだめつつ、古書店開業を発心するに至りました。

古書赤いドリルは、その棚を眺めれば結局ぼくは見ることがかなわなかった昭和の風景たちを、その風景の中で息づくひと びとを感じられるような、戦後の昭和史を散歩するような、そんな店でありたいと願っております。近い未来、確実に、決定的に失われるであろう「昭和」の景 色は、本のなかでしかもはや出会えない、そんな本たちの出番をつくる仕事をさせて頂きたいと思っています。

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赤いドリルさんが開店したのはなんと今年の6月と非常に最近のことで、私が存在を知ったのは11月2日でした。新左翼関係の書籍を探している最中に偶然見つけました。
その時twitter上で感想を呟いたのが残っているので、「お前の感想なんざどうでもいい!」と仰る方もあるかもしれませんが、こちらも一応引用しておきます。

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今年六月に開店した「赤いドリル」という古本屋兼バーをネット上で偶然発見。ブログを読む限り脱サラして始めたみたいだけど勇気あるなぁ。店主の方は連合赤軍を主とする趣味者みたい。シンパっていう感じじゃなくて“ファン”というのが一番しっくりくる。 http://bit.ly/bPAKqp
11月2日 8:51PM  webから

「古書赤いドリル」さんは下北沢にあるので近々行こうと思ってる。既に趣味者と思しき人も来店しているらしい。冷戦崩壊後の生まれだから知らないけど、バーと書店の併設と聞いて昔の模索舎を思い出した。僕は下戸だからバーは無理だな。
11月2日 8:59PM  webから

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(赤いドリルさんは主に連合赤軍を研究なさっているようですが、当ブログでは連合赤軍はありませんが、日共革命左派赤軍派のページはあります。 連合赤軍に直接関係する実物資料として連合赤軍機関誌「銃火」が日共革命左派のページに展示してあります。)

まぁ前置きはこれくらいにして…。


今週の水曜、12月8日に伺いました。場所は小田急線or京王井の頭線「下北沢」駅を南口に降り、そのまま緩やかな坂となっている商店街を下って餃子の王将の通り過ぎ次の道を右手に入っていったところにあります。

※こちらのHPを見てから行きました。
詳細な地図はページ最下部

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店舗外観

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看板も好い味出してます。

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入って右側の本棚。写真中央にも低い棚があり、大型本が配架されている。

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入って左側の本棚を店舗の奥から臨む。文庫本等が主か。

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奥のバーカウンター。

店に入り中を見回すと、そこかしこに新左翼関係の書籍がありましたのでつい夢中になり吟味することおよそ10分。


陶山健一,『反戦派労働運動』,1969,亜紀書房
思想運動研究所編,『左翼30集団』,1968,全貌社
高杉晋吾,『部落差別と八鹿高校』,1975,三一書房
松崎明・谷恭介,『国鉄動力車』,1972,三一書房
土田・日石事件弁護団編,『土田・日石事件 意見陳述集 第一巻』,1976
ビートたけし他,『60年代「燃える東京」を歩く』,2005,JTBパブリッシング

の計6冊を購入。3050円也。
相場より安いです。ネットからも買えますので、ぜひどうぞ。品物は全体的に状態の良いものが多かったように思います。

会計をお願いしている間に事情を話し、ブログで紹介することと、そのための写真撮影の許可をいただきました。
共産趣味者として他人と話をする機会がなく、このようなことをするのも初めてでしたので、緊張して自己紹介やブログの名前を申し上げるのを完全に忘れており、いまさらながら大変失礼なことをしたな、と猛省してます。

応対してくれた店員さんはオーナーさんではなかったのですが、物腰の柔らかい非常に感じの良い方で、商品の扱いも実に丁寧でした。

まぁ簡単にまとめますと、こじんまりとしている雰囲気の良いお店で、品ぞろえもよく、価格も良心的で、店員さんも良いということです。これだけたくさんの新左翼関連書籍を見られる古書店は、私は都内ではここともう一軒しか
知りません。かなりお勧めです。

最後に応対して下さり、突然の申し出に快く許可を下さったお店の方に心より御礼申し上げつつ、時間も時間で正直眠くなってきたのでこれで終わりにしようと思います。

※こういう文章を書くのに慣れていないおらず、オチ無しの文章になりましたことをお詫び申し上げます。





2010年9月 8日 (水)

【番外】 1968-1972年ごろの革マル派機関紙「解放」

1968-1972年頃の革マル派機関紙「解放」を沢山(126-165号(131-133号欠) 205-229号(215号欠))入手する機会に恵まれたので、その中から興味深い物を公開したいと思う。

本来機関紙というごくごく普通な品物は入手したからといってこういう風に公開することはない。
しかしながら革マル派は学生運動最盛期から日本の左翼界の主要な位置を占め、また現在に至るまで勢力を維持しており、その存在を無視することは出来ないにも拘らず、革マル派「解放」は中核派「前進」や第四インター「世界革命」などの様に縮刷版が発行されておらず、過去の機関紙をみるのが他派と比べて容易でないのだ。

※実はかつて革マル派も縮刷版のようなものを限定一部(!)で発売したことがあった。ところがそれは縮刷版ではなく、今までの「解放」の実物を合本にしたもので100万円以上の値が付けられていた。
…うん、正直欲しいよね。おくところ無いけど。

と、いうわけで公開しようと思うのだが、こういうことをやってて心配になるのはやはり「スパイ」扱いをされないかということだ。
まぁそうは言ってもビラとかの入手が困難なものを公開するのではなく、極論を言えば100万円出せば確実に入手できるものなので問題は無いと考えている。ましてや40年前のものなのでなおさら構わないと思っている。

さて本題に戻ろう。今回扱うのはブログの本旨でもあるゲバスタイルに関することと、その他なんとなく目にとまったものである。スキャナを使えばいいのだが面倒くさいのでコンデジで接写した。
(接写して気付いたのだが、このコンデジは古い。ホントに古い。近々お金を貯めて買おうと思うがいつになるやら。)
デジカメを使ったのは、スキャナを使うのが面倒なのも確かに理由のひとつなのだが、紙が当然の事ながら経年劣化でボロボロになっており、とても家庭用のスキャナの読み取り面にあてがう作業に耐えられそうに無かったというのもまた理由である。
ちなみに閲覧後の机には「どこの死海文書だよ!」ってくらい破片が散らばっていた…。

Cimg2354

さて普通に掲載したいのは山々なのだが、ココログは画像一枚当たり1MBという上限があるので縮小しなきゃいけない。しかしこれが面倒なので、Picasaにアップした画像にリンクをすることで済ませたいと思う。

①機関紙記載の組織名称の変化

写真に写っているのは126号(1968.11.15)~129号(1969.01.01)までの四部のタイトル部である。
注目すべきは127号の「滞納紙代の一掃を!」ではない。

拡大した画像を見て欲しい。

126号、127号の名称は、
「日本革命的共産主義者同盟 全国委員会 革命的マルクス主義派」
なのだが、128号からは、
「日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派」
となっている。
これが地方の一支部の機関紙記載の組織名が変わったくらいなら、(元々革共同全国委が分裂して出来た組織だから)、「組織名称の表記揺れを全国的に統一でもしたのかな?」くらいにしか思わないが、中央の機関紙だから、それなりの理由があるんじゃないかと目を通してみたが特別な記述は無かった。

「正式名称なんて特別意味は無いんじゃないか?」という意見もあるだろうが、それならそもそも「全国委員会」を消す必要が無いわけで…。
この辺の事情に通じてる方は教えてくださいな。

②伏字

一部伏字になっている。戦時中のブルジョア・マスコミは伏字にする時は「○」だったなってくらいの話で特に言及した意味は無い。
なお今回引用した画像は1969.11.21 革マル派 「解放」 号外 一面下部のものである。

③反戦高連のヘルメット

反戦高連といえば革マル派の高校生組織であり、以前に当ブログで紹介したところ様々な情報が寄せられた。

まずは機関紙に載っていた写真を見て欲しい。

お分かりいただけただろうか…。

ちょっとよってみよう。

写真中央部の人物のヘルメット(人物は反対を向いているので、ヘルメット後部ということになる。)には、先の記事で滔天さんから寄せられた情報

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あと、反戦高連のメットについて、横浜ならばZにYを重ねたと書きましたが、横浜の高連は東京ブロックに分けられ、Zに重ねた文字はTだったと、横浜の高連OBから聞いたことを思い出しました。「あれ、Yじゃないのか」とまぜっかえしたものでした。

投稿: 滔天 | 2010年6月29日 (火) 17時06分

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にあった、「ZにTを重ねたマーク」が見えるのだ。

わかりにくいようなので、その部分を加工した。

Tを強調した画像

Zを強調した画像

写真真上の矢印でページを送って見ると、わかりやすいと思う。

今回纏まった数の「解放」を手に入れたが、反戦高連の写真は少なく、またあってもかなり引いた画像か、後ろから写した物が多い。これは滔天さんの指摘にあった、

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反戦高連のメットに話を戻しますが、高校名は表記しませんでした。69年だったか、各都道府県教育委員会が、高校生の政治活動を禁じる5項目ほどの通達を出し、厳しい処分で臨んだからです。一方、革マル系全学連のメットは、後部に大学名を書いていたはずです。

投稿: 滔天 | 2010年6月25日 (金) 21時46分

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という事情によるものではないかと思われる。

④国労のヘルメット

国労のヘルメットについても、先の反戦高連の記事内で滔天さんから情報を戴いている。抜粋して寄せられた情報を以下に整理する。

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ヘルメットの下部外周に巻いた帯は、全学連並びに反戦高連は「赤」動労が「青」、国労が「黒」と決められていました。

投稿: 滔天 | 2010年4月24日 (土) 10時45分


国労のメットは、正面に「国労」とだけ。脇に「反合理化」とあった記憶もありますが、定かではありません。あと、後部には組合の支部名を書いていたかもしれません。
労線なので、反帝・反スタとは記していなかったことだけは、記憶にあります。

投稿: 滔天 | 2010年6月25日 (金) 21時21分


追伸 うろ覚えですが、革マル系の国労、動労は、「反合理化」と、「マル生粉砕」のスローガンをメットに書いていたような気がします。マル生とは、経営側と右翼労組・鉄労による生産性向上運動のことです。

投稿: 滔天 | 2010年6月25日 (金) 21時36分

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今回入手した「解放」からは二種類の国労と思しきヘルメットを見出すことが出来た。

一つ目は、白地に鉢巻状黒(?)線に「国鉄反戦」のヘルメット(1970.07.15 「解放」 165号 三面)

二つ目は、白地に鉢巻状黒(?)線に「国労」のヘルメット(1971.12.25 「解放」 217号 一面)

一つ目の方は存在するか知らないけど「国鉄反戦青年委員会」で二つ目こそが「国鉄労働組合」のヘルメットかとも思ったのだが、「国鉄反戦」のキャプションが「国鉄労働者」ではなく「国労労働者」であることが引っかかるのだ。先頭のメット部隊が国鉄反戦でその後ろのメットを被っていない人が国労労働者ということか。私の間違いですね。
何れの写真も革マル派国鉄委員会名義の記事内で使われている。

⑤初期の内ゲバ

横国大富士見寮における革マル派活動家水山敏美君殺害に関する記事である。(1971.11.15 革マル派「解放」 213号)
写真は四枚ほどあるので、そのまま写真真上の矢印を送って見て欲しい。

なおこの時点での党派闘争における革マル派の死者は前年の海老原君(中核派による)と町田君(人民党=日共によるとされる)の2名をあわせた3名である。

⑥革共同第三次分裂

これも特に意味は無い。単純に革マル派自身が「革共同第三次分裂」という用語を使ってたんだなぁと思っただけ。(1972.01.15 革マル派「解放」 219号)

⑦連合赤軍に関する革マル派の見解

これも写真は三枚あるので、そのまま写真真上の矢印を送って見て欲しい。(1972.04.05 革マル派「解放」 227号)
拡大すれば本文が読めるはず。

⑧早稲田大学政治経済学部自治会再建の記事

僕の認識では法学部が民青のほかは全部革マル派系自治会で、政経は空席だったと思ったが、再建は一応しているようだ。(1972.02.05 革マル派「解放」 221号)

⑨スト共闘のヘルメット

写真左側の、デモ隊の写真をとっている人の直ぐ右に覆面をしているデモ隊員の正面が写っているが、「スト○…」と書いてあるように見える。キャプションにある「スト共闘」かと邪推。(1972.03.25 革マル派「解放」)

⑩官公労のヘルメット

写真中央の旗「沖縄官公労 農林支部」の旗手のヘルメットを見ると「官○…」と書いてあるように見える。

他にも色々あるけど眠いので寝ようと思います。解放に関しては34枚の写真がフォトアルバムに上げてあるので良かったら見てください。

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