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実物資料

2015年10月13日 (火)

僕が共産趣味者になった理由。君を趣味者にしたいわけ。 その3

その2)から続く

この文章は一気に書き上げているわけでもなく、それこそ徒然に言葉を編んでは切りのよさそうなところでアップしているだけなので忘れていたことを思い出したりする。

文章を考えていて思い出したのだが、機関紙を初めて買ったのは模索舎ではなかった。御茶ノ水の書泉グランデであった。書泉グランデは機関紙の品揃えはそれほ ど良いわけではない。縦に細長い白いマガジンラックが一つだけあって、それが機関紙売り場であったと思う。置いてあるのも中核派「前進」や革マル派「解 放」、或いはインターの「かけはし」くらいで、右翼系として一水会の「レコンキスタ」もあったと思う。私が初めて買ったのはこの数紙で、その頃は最近「絶 歌」を出版したことで問題となった少年Aを無実だと主張する革マル派の神戸事件パンフがまだ売られており、私も一部購入した覚えがある。今となってはどこに仕舞い込んだのかも定かではないが。

もちろん書泉グランデで機関紙を購入するのも、ドキドキだった。だが案外あっけなかった。周りの客とて、他の客が商品を買っていても、それがよくわからない新聞だとしても気にも留めないし、むしろそこにあるものが何なのかすらわかっていなかったろう。

私としてはこの数紙では満足できなかった。前進も解放もかけはしも、HPがあったから、初めて機関紙を購入したということに満足感は覚えても、それ以上のものではなかったのである。

話をもどそう。模索舎へ初めて行った時の話だ。季節もよく覚えていない。だが、夢中で壁にささっている機関紙を手に取って、一紙ずつ求めたのと、日共行動派 の「人民戦線の旗の下に!」がやたらと高かったのだけを覚えている。この時機関紙以外では「救援ノート」を唯一購入した。表紙が「サッコ・ヴァンゼッティ 事件」のイラストであったと思う。

家に帰って和室に広げて読んだが、機関紙はそれほど「面白い」ものでもなかった。政治論文は難解過ぎたし、それほど興味もなかった。過去のそれとは違って実 力闘争を闘っているわけでもない。写真も豊富ではないし、白黒ではヘルメットの色がわからない。寧ろ興味深かったのは「救援ノート」の方だった。ある意味 で「実用書」なのだからそれも当たり前だろう。概念より実務の方が素人にはとっつきやすい。

次に私が求めたのは実物資料だった。実物のビラやポスター、そして何よりヘルメットが欲しかったが、調べても売っているところなど見つからなかった。ヤフオクは見ていたが、まだ手を出していなかった。ヤフオクには当時ブント関係の資料がだいぶ流れていた。RG資料集などもあったのではないか。当時はその価値が判らずオークションに手を出さなかったが、今だったらすぐに購入しているだろう。

色々と調べて、恐らく扱っているであろう店を割り出し、初めて購入した実物資料は「赤軍 8号」だった。これは後にわかったことだが共産主義者同盟赤軍派が最後に発行した機関誌である。

この頃、色々な文献やyoutubeの動画から探し出したヘルメットの画像を集めて、ボリューム(E:)(現在のブログ版)開設当時のような画像と数行の説明文だけのものを書き溜めて、mixiの日記で公表した。当時のタイトルは「ヘルメット考」で、後にそれほど大仰な物でもないのにタイトルばかりが立派なことがなんだか気恥ずかしくて「ヘルメット雑考」と改題した。この「ヘルメット考」が偶然元アナキスト革命連合オルガナイザーの千坂恭二の目に留まり、mixiでメッセージを頂戴し、「当時でもヘルメットをあみだにかぶったりして、同じような格好をしていても格好良い者もいたし、ファッションという側面から当時を振り返る試みはおもしろい」というようなお言葉を頂戴した。これが励みになったのは言うまでもない。

(その4)へ続く

 

2015年10月12日 (月)

僕が共産趣味者になった理由。君を趣味者にしたいわけ。 その2

その1)から続く

 マル共連は既に更新を停止していたし、マル共連フォーラムもあまりにもニッチな話題ばかりになってしまっていて初心者の趣味者には入り難い雰囲気があった。2chの共産板も似たようなものだった。

 そんな中で私が強く惹きつけられたのはヘルメットだった。ヘルメットは今も私の興味の主要な部分を占めているが、その原点はマル共連のヘルメットで見るセクト(現在リンク切れ。web archiveから閲覧可能。)だった。このたった1ページしかないコンテンツを食い入るようによく見ていたことは今でも覚えている。

 このページには『当時の写真資料を見ると、もっと多くのヘルメットが存在しますが、団体を特定できないので掲載はやめました。』という一文があった。ヘルメットに興味を抱いた自分は、「いつかこの『ヘルメットで見るセクト』を引き継ぎ超えるようなページを作るんだ!」と思い立って、当時の映像や写真を調べ始めた。今は私がHPなどでアップしていることもあって沢山あるが、当時ヘルメットの写真は調べてもあまりネット上にはなかったのでひたすら文献調査に取り組むしかなかったのだ。

 まずは「ヘルメットで見るセクト」でイラスト化されているヘルメットを写真で確認しようと当時の写真集なんかを学校の図書館や、学校の横にある大学図書館で調べてみたが興味は増すばかりで、学校にはない写真集を見に千葉県立西部図書館にも足を運んだ。
 しかしそれでもまだまだ見つからないヘルメットがあった。そのあとは少し知恵を使って大学図書館のアサヒグラフ誌をひたすら見たりしたのだが、この過程では多くの正体不明のヘルメットを見つけたり、名前は出てくるけどヘルメットの写真が見つからない党派を見つけてちょっとがっかりしつつも一層興味が燃え上がった。

実は「ヘルメットで見るセクト」でイラスト化されたヘルメットの中でも、白ヘルの「民学同」と、黒ヘルの「プロ軍団」は見つかっていない。それらしいものや見切れているものはあるのだけど。

 色々調べても見つからないとなると、今度は一次資料を見るしかないと思うようになった。だが、機関紙やビラを所蔵している図書館なんてない。国会図書館にはあると判ったのだがまだ年齢的に入れなかった。よくよく調べると郷土史の関係で、三里塚闘争の舞台となった私の住む千葉県の中央図書館には第四インター機関紙「世界革命」の縮刷版があると知って見に行ったが、縮刷版を捲くる度にまた知らないヘルメットを見つけたりと、興味はますます広がっていった。

 機関紙といえばマル共連には「各派機関紙紹介」(現在リンク切れ。web archiveから閲覧可能。)というのもあって、しかもこれらの機関紙の殆どは新宿の模索舎という書店で買えると知った。自分も機関紙を手に入れたいと模索舎の前まで勇気を出して行ってみたが、いざ入るときは正直怖かった。その扉の向こうにはテロ・ゲリラをするような活動家のたまり場になっているのではないかと勝手な妄想をしていたし、マル共連フォーラムの過去ログで過激派の動向を探るべく公安が出入りしていると聞いていたから、自分も公安に誰何されるのではないかとかいろいろ考えてしまっていたのである。

しかもよりにもよってその日模索舎は「恐れることはありません」なんていう無責任な札を閉まった扉にかけていたものだから、どうにも目の前のその扉を開けるには勇気が要ったのである。

(その3)へ続く

2011年11月 7日 (月)

資料紹介-もののべながおき氏日本共産党復党申請書&復党確認書(新規取得資料)

もののべながおき(物部長興)の日本共産党に対する復党申請書及び復党確認書を公開する。

恐らく日本共産党の内部資料に類するものと思われるが、書かれてから相当の期間が経過していること、当該人物が故人であること、戦後の日本共産党混乱期に関する資料であり貴重なものと思われること等の理由から公開する。

日本共産党の混乱期とは何のことか、と言った類のことはwikipediaの日本共産党の項を見て戴ければ大体把握できると思う。

当該人物は、復党申請書添付の経歴書等から照らして、後にベトナム反戦ちょうちんデモの会を組織したもののべながおき氏とみて間違いない。

氏の略歴についてはデジタル版 日本人名大辞典+Plusの記述を参照して戴きたいが、本資料はこれに記載されている氏の日本共産党との関係に関しては食い違う点もあることを御留意戴きたい。

【日本共産党への復党申請書】

Photo

復党申請書はA4版のレポート用紙に書かれており、昭和31(1956)年1月13日付となっている。

内容は日本共産党中部地区委員会宛てで、物部氏がかつて≪1949年6月頃≫確立に尽力した細胞であり、氏の除名前の所属であり、氏の除名と同時(期)≪1951年7月≫に一度解散処分になり(内容を読む限り別の細胞に統一されたらしい)、後に再建された細胞を所属組織(復党確認書記載の表記による)として復党を申請している。(≪≫内は本申請書添付の「経歴書」(詳細後述)による。)

申請書の執筆者は当該細胞の構成員であるが、「代」とだけあり、これが当該細胞の代表者を意味するのか、或いは当該細胞の長の代理を意味するのかは不明。

この復党申請は当該細胞の細胞会議に於いて確認された復党への承認を、上部機関である東京都中部地区委員会に対して求めたものであり、また既に口頭ではこの件について報告しており、先に行われた党内の調査に於いても党員の一人としてカウントされているようである。

以上のようなことから、本申請書は極めて形式的なものであることが分かる。口頭で了解を取っただけなのに、物部氏の存在が党の調査に既に算入されていることから、上部の反対が予定されていないことが推測されるからである。つまり氏の復党は特段の異議が生じようのないありふれたものとして扱われていたように見受けられるのである。

即ち、物部氏は、党の混乱の収拾が開始された1955年7月の六全協以降、党の方針として統一を進める中で、分裂によって除名され、或いは党を去った人々を再び糾合する大きな流れの中で復党した多くの党員の一人に過ぎないということであろうと思われる。

なお、本申請書にはB5版原稿用紙3枚に亘る物部氏の「経歴書」が糊で添付されていた。これらについては、個人情報としての色彩が濃いものであることから、今回の公開は見合わせた。

【日本共産党からの復党確認書】

Photo_2

本確認書は、A5版より一回り小さい位の大きさの藁半紙で、復党確認書のフォーマットがガリ版で刷られており、それに必要事項等を書き入れている。1955年1月17日付になっているが、これはフォーマットを訂正していないためで、正しくは1956年であろう。

地区委員会が「一九五五年」と単年のフォーマットを印刷して用意してあったことからもこの頃の復党者が多かったことが窺える。

【復党申請書添付の経歴書】

1頁目

1

2頁目

2

3頁目

3

2011年10月 2日 (日)

資料紹介-マル学同中核派メット(写真提供)&中核派全学連メット(新規取得資料)

私の友人、というよりは先輩と言った方がしっくりくる人でMさんという人がいる。彼は昨年の京大の11月祭でマル学同中核派のヘルメットを中核派の人から直接貰って帰ってきていた。先日、私が中核派全学連のヘルメットを手に入れる機会があり、思い立って写真の提供とブログ等での公開許可をお願いしたところ、快く引き受けてくださり、そのための写真を撮って送ってくださった。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
私が全学連メットのきちんとした写真を撮ったら記事を立てて紹介しようと思ったのだが、先週から体調を崩しており、写真をまともに撮れなかったので、先にアップした写真をそのまま使うことにした。近い内に新たに写真を撮り直して差し替えるのでご容赦願いたい。

マル学同中核派メット(所蔵・撮影M氏) 転載不可 Imgp3718 Imgp3720 Imgp3722 Imgp3723


 中核派のヘルメットの完成は遅かった。正確に言えばヘルメットの正面のデザインの統一は主要党派の中では遅かった。そう言って差し支えないように思う。本格的に「中核」のメットが用いられて以降、「白地に『中核』」という基本以外の細かなデザインというのはまちまちであった。比して革マル派全学連は、「白地に鉢巻状赤線『Z』」という基本に関して、赤線はビニールテープを用いることから形が一定していたし、「Z」の字は書き易いからある程度デザインが収斂というか安定するのが早かった。(訂正:安定するというより、「字が単純だから多少ばらつきがあっても目立たない」という方が正しい。ただし、かなり早い時期からヘルメットの側面に「革マル」と書くのが共通化している。)

1969.12.14 糟谷人民葬 約1,000名の革マル全学連は日比谷野音へ突入の構え

19691214_1000

 それに比べると「中核」という字はなかなか難しい。「中」のデザイン、即ち「口」の部分を大きく書くというのは70年代に入るか入らないか位に定まったような印象を受けるが、なお書き手によってばらつきがあった。これが完全に安定したのがいつ頃かはわからない。

 ヘルメットを使ってセクトはそのセクト名を大衆に示す。その意味でヘルメットは大切である。デザインがヘルメットによってばらばらだと、隊列としての統一感や迫力に欠ける。だからヘルメットのデザインの統一は自然な流れであった。
 ヘルメットのデザインの統一の先駆け的存在はML派であったように思う。他党派は労働者、学生、高校生でヘルメットの基本のデザインが異なる。これに対して、ML派は全体の人数が少ないからか、労働者戦線(LFL)も学生戦線(SFL)も高校生戦線(HFL)も同じモヒカンのヘルメットをかぶり、小さく略称を記した。

1970.06.23 6.23総行動 火炎びんを持ち、鉄パイプで武装して会場を出発したML

19700623_623ml

 後年、第四インターは「学生共闘」「青年共闘」などのシールを作成し、完全に同じデザインのヘルメットを被らせた。(このことに関しては赤色土竜党ヘルメット用ステッカーシールについてに詳しい)

 第四インターなどがヘルメットのデザインを統一したのには、ヘルメットに違いがあれば、逮捕された際に証拠写真等から個人を特定され易いという理由もあった。(前掲リンク参照)事実、導入の時期は不明だが第四インターが三里塚において多くの実力闘争を闘っていた頃の写真を見るとシールが使われており、ヘルメット間に個体差はない。

 第四インター以外の党派で、通常のヘルメットのデザインが全体的に統一されているとは言い難い党派でもバイクヘル(ジェットヘル)を用いた本格的な闘争用のヘルメットは統一されていたように思う。これについては85年の10・20成田現地闘争に労働者として中核派から参加したアッテンボロー氏のブログ、アッテンボローの日記帳内の記事、「10・20三里塚闘争」に言及があるので該当部分を引用する。

(前略)
検問の機動隊員が「おい、新品のヘルメットだぞ」と驚いて同僚に話していた。この日のために用意されたバイク用のヘルメットだった。集会場に着くと選抜メンバーにはバイクヘルとゴーグル、雨合羽が支給された全員がヘルメットに「中核」と書く様に言われた。学生と労働者の区別がつかない様にするためだ。
(後略)

 「反戦」という労働者用のメットや「中核」という学生用のメット、「全学連」「自治会」などのメットを使い分ければ、逮捕必至の闘争での完全黙秘戦術の意義を多少なりとも失わせかねない事が理由であろうか。もちろん隊列を組んだ時の統一感というのもあっただろう。新品を用いたのは余計な後ろや左右の書き込みから個人が特定される(訂正:関係先がバレるとガサの対象になったり、参加者の身元が割れやすいというのが正確な表現か。「京大」とか書いてあれば、京大内の拠点がそれを口実にガサ入れられるだろうし、京大生或いは京都周辺の活動家かもしれないって推定される恐れがある)ことを避けるためであろう。

 このような本格的な闘争に用いたものに比して、普段使いのヘルメットには(正面のデザインに個体差がなかったとしても、後ろや左右の書き込みに)結構個体差がある。確かに弾圧対策の面での能力は多少劣るだろうが、こういったヘルメットは自弁ではなく共有物であった為、いつも同一人物が同じヘルメットを使ったわけではないから、その日逃げ切れば個人特定は困難で正面以外の部分に個体差があっても差支えなかったのだろうと思われる。

中核派全学連メット(所蔵・撮影 管理人:有坂賢吾 Dsc_1656 Dsc_1658 Dsc_1666 Dsc_1669 Dsc_1672



参考:中核派全学連メット個体差比較(有坂所蔵及び京大哲研公式アカウント様提供)
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正面の「全学連」がほぼ一致していることが分る。これが先述の「正面のデザインの統一」である。

 

2011年8月30日 (火)

新規取得資料紹介

twitterの方では随時紹介しているのですが、どうやらあちらを見ていない方も大分いらっしゃるようですのでこちらでも目ぼしいところを一通り紹介することにします。
こちらで紹介した資料は既にPicasaの方でも閲覧可能です。

【名称】共産主義者同盟赤軍派
【ヘルメット】赤地に「赤軍」。

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動労ヘルメットとの交換で入手したヘルメット。1977年製なので、よど号(70年)や連赤(72年)の後に国内で活動していた赤軍派のものと思われる。
このヘルメットは05年に管制塔元被告連帯基金運動の際に販売されたもので、『管制塔元被告連帯基金運動 4ヶ月の記録』76頁に写真あり。


【名称】国鉄動力車労働組合
【ヘルメット】白地に鉢巻状青線に「助士廃止反対」。

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助士廃止が当局によって打ち出されたのが1967年、1969年にはこれに反発した労働組合側によって大規模なストライキが打たれるに至った。この助士廃止反対闘争時のものと思われる。
紐ヘルではないが、私の所有する80年代の動労ヘルに比べると相違点が多い。

【解放派ゲバスタイル】

・解放派ゼッケン

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一枚布に表と裏にガリ版でスローガンが刷られていて、中央部に首を通すための切り抜きがある。売り手によれば1974年頃のものとのこと。この頃の社青同機関紙「団結の砦」はほとんど手元にあるので、スローガンなどから大まかな時期を推定することは可能と思われる。

・社青同東京地本 腕章

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・社青同 旗

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キュプラの赤い布にスプレーで「社青同」と書かれている。竹竿やバイプにガムテープで付けたとのこと。大きさは約90cm×約70cm。現在でも解放派のデモでは先頭の横断幕や旗の他に沢山の赤旗が翻っている。そのような用途に使われたものと思われる。

ゼッケンや腕章はヘルメットをかぶるような「戦闘的」なデモでは(これの前所有者の活動家は)使わなかったとのこである。その理由は『機動隊に切られてしまうから』だという。当時のデモがどれほど激しいものであったかを物語るエピソードである。

またこのことはデモの際の服装規定がそれほど厳しいものではなかったということをも示唆する。

・ゲバスタイル再現

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手元にあった国労中央支部のヤッケに腕章とゼッケンを合わせてみた。なんとなく雰囲気は掴んでもらえるのではないか。

・解放派プロテクター

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段ボールに竹を並べ、それを布ガムテープで固定し、それをゴム紐で体に固定するようになっている。競技用なぎなたの防具の脛当てに似る。そもそもは機動隊の装備にヒントを得たものであろうか。

写真のものは腕と二の腕用で、他に肩や脛用の物もあったという。70年代に考案され急速に普及し、簡単な作りながらも十分な効果を発揮したとのことである。

追記

このプロテクターについてだが、似たような代物を同時期以降の中核派も服の下に着用し対カクマル戦に備えていたとのことである。飽くまで革マル派対策であってデモでは着用しなかったそうだ。

追記2

昨日資料紹介-マル学同中核派メット(写真提供)&中核派全学連メット(新規取得資料)を書いている時に赤色土竜党のコンテンツを読んでいたら宣伝戦線第7章「強固な隊列のために」にこのプロテクターに類似するものと思われる防具代用品の記述があったので引用する。

●闘争が激烈になると予想される時は、肩や腹を新聞紙などでしっかりと防護する。また、腕には篭手(ない場合にはガムテープとワリバシで代用)をつける。全身をしっかり守って存分に闘いを遂行しよう!

これで解放派、中核派、第四インターでこういった防具の使用が確認された。

2011年8月28日 (日)

京都大学のヘルメットいろいろ

私がtwitterをやっていることをご存知の方も多いかと思いますが、相互フォローの関係にある京大哲学研究会公式アカウント様のご厚意でヘルメット写真の提供を受けることができました。ありがとうございます。

提供していただいた写真は非常に鮮明で資料性の高い写真ですので公開します。(というか、twitterで私をフォローして下さっている方は既にご覧になっていることでしょうけども)

私が京都大学の学生運動に疎いのでほぼ画像の羅列になってしまいますが、ご容赦ください。

【名称】京都大学哲学研究会
【ヘルメット】黒地に「哲研」。後ろに「京大」。

今回写真を提供して下さった京都大学哲学研究会公式アカウント様のヘルメットです。
写真を見るとわかるようにほぼ未使用で、内装から判断する限り最近の物と思われます。
公式HPはこちら→http://sites.google.com/site/kyototekken2011/

正面
Dscf0769

右側面
Dscf0771

後部
Dscf0773

左側面
Dscf0775

上部
Dscf0778

内装
Dscf0779

【名称】全日本学生自治会総連合(織田委員長)
【ヘルメット】白地に「全学連」。

最近、俳優の山本太郎さんと瓜二つと評判になったり、革共同政治集会で基調報告をしたりと何かと話題の織田委員長率いる全学連、通称中核派全学連のヘルメットです。
公式HPはこちら→http://www.zengakuren.jp/wp/

最近あんまり被らないイメージがあります。中核派系は。だけど西の方だと割と被ってるようですし、関東でも法政がらみのデモでも被ってるようです。三里塚では必ず被ってますね。

正面
Dscf0744

右側面
Dscf0750

後部
Dscf0747

左側面
Dscf0746_2

上部
Dscf0752

内装
Dscf0755

 

【名称】京都大学熊野寮自治会
【ヘルメット】白地に「熊野」。

黒地に「熊野」のヘルメットも見たことがあります。気になる方は昔(2000年代で十分)の前進か警察白書を見ると、見つかるはずです。京大哲研公式アカウントの担当者が熊野寮の方で部屋にあったので撮って下さったとのことです。残念ながら熊野寮自治会に関する細かな歴史等は勉強が追い付いていないためわかりません。

余談ですが、(熊野寮ではなく)吉田寮の方に訪問した際に『ヘルメットは今でもかぶりますか?』との質問に、案内して下さった寮生の方は『熊野寮に襲撃(ストーム)をかける際にはかぶります』と答えてくださいました。

正面
 Dscf0710

 右側面
Dscf0715

後部

Dscf0713

左側面

Dscf0712

上部

Dscf0721

裏面

Dscf0723



【名称】京都大学教養部
【ヘルメット】クリーム地に鉢巻状黒細線2本に帽章(詳細不明)。

京都大学教養部のヘルメット。当局側のもの。昭和58年12月の製造で、防災用途なのか、それとも学生と対峙する為なのかも不明。

正面
Dscf0757

右側面
Dscf0763

後部
Dscf0734

左側面
Dscf0759

上部
Dscf0765

内装

Dscf0766

保管状況(名前が書いてあったので消してあります)
Dscf0781_2

すいません。特段の解説等の準備はありませんが、一次資料としての価値が大変に高いので不要かもしれません。

終わりに、今回の貴重な画像を提供して戴いた京大哲学研究会公式アカウント様に重ねて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

詳細な画像が、Picasaでも閲覧可能です。

2011年6月26日 (日)

NAA 空と大地の歴史館 訪問記

昨年末に空と大地の歴史館の開館がアナウンスされてから、一体どの様なものが出来上がるのか気になっていたので行ってきた。

芝山にある航空科学博物館の敷地内にあるが、HPが今のところないので、アクセスに関しては航空科学博物館のHPを参照してほしい。
私はJRの成田駅まで行って、京成成田駅まで歩き(徒歩3分)そこから芝山千代田行きの芝山鉄道直通電車に乗った。連絡が非常に悪いし本数も少ない上に芝山鉄道直通電車は、休日と平日で別のホームから発車するので注意。

私が行ったのは日曜なので2番線から。Dsc_0299

芝山千代田駅着。所要時間10分ほど。

Dsc_0361_2Dsc_0357 Dsc_0308kai

延伸予定があるので下から見るとこうなっている。Dsc_0317

延伸推進の看板。
Dsc_0309kai

芝山千代田駅からはバスが出てるのでこれに乗車。歩いていけない距離ではないが、これからのシーズンは暑いだろうと思う。Dsc_0323kai

航空科学博物館着。入口のゲートのところに看板はあるものの、「空と大地の歴史館」の場所はわからない。
Dsc_0330kai

航空科学博物館の施設案内図。図内には記載がないが、駐車場の右下あたりに存在する。
Dsc_0328kai

そっけない立て看板。まるで場所がわからないが、駐車場の中を歩いていく。
Dsc_0329kai

駐車場の奥に小さな目立たない建物。これが空と大地の歴史館である。
Dsc_0332kai

さて、まず大前提として一つだけ確認しておく。このブログは政治的なものではない。政治的な観点からの評価はこのブログには書かないし、また私見だが反対派にとってはこの施設は別に現地に行かずとも十二分に評価可能な程度の代物であると考えている。

毎日新聞だけが反対派の意見も載せていたので引用しておきたい。

―――――――――――――――――――――――――――――

◇努力に感謝する--県議、国会議員として反対し、成田市長として共生を進めた小川国彦氏(78)の話
 ここまでこぎ着けた努力に感謝する。反対運動もあり問題は解決していない。公共事業や共生のあり方を考えるきっかけとなると思う。運動に関わった人は多く、限られた展示で表し切れない。多くの思いや意見、資料を一層集積し伝える拠点となってほしい。

◇反対運動は進行中--三里塚芝山連合空港反対同盟北原派事務局次長、萩原進さん(66)の話
 反対運動は終わったと広めたいのだろう。だが、運動は進行中で、大事な局面を迎えている。今、福島第1原発事故の被害などで、全国的に国の事業を見直す時期にも来ている。歴史館などとんでもない。作るお金があるなら、被災地に回せと言いたい。

―――――――――――――――――――――――――――――

共産趣味の観点から見てみても展示資料はここでなくては見れない貴重な資料が多い。
当ブログで主に紹介している「ゲバスタイル」はその一つで、実物のヘルメットやゲバ棒(鉄棒)、目出し帽、ゴーグルなどいずれも貴重な資料である。
ヘルメットは計22個展示されていた。出来れば写真で紹介したかったのだが、残念ながら撮影禁止であった上に、一切説明もなく、また展示目録も発売されて無い。仕方ないので現地で一時間かけて22個のヘルメットを一つずつメモしていった。それを解説を交えつつ紹介する。

凡例

紐ドカヘル:紐が鉢巻状に通してある工事用ヘルメット。
ドカヘル:いわゆる「MPタイプ」と称される工事用ヘルメット。
半帽ヘル:お椀を伏せたようなタイプのバイク用ヘルメット。半帽などと称せられる。
ジェットヘル:新左翼関係の文脈で「バイクヘル」と言う場合には大概このタイプを示す。管理人のPicasaで公開中の第四インター系「三里塚空港粉砕全国学生共闘」のヘルメットがこのタイプ。


では展示されていたヘルメットを見ていこう。

反対同盟のヘルメット

・白無地、紐ドカヘル
【来歴】
 反対同盟の小川氏所有品。逮捕された際に押収され後に返還された物で検察のタグが付いたまま展示されていた。

・白地に黒で「少行」
、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 反対同盟農民の子ども達によって組織された「少年行動隊」のヘルメット。同盟休校などを行った外、直接的な行動にも参加した。

・白地に黒で「空港絶対反対」半帽ヘル
白地に黒で「空港粉砕」、後ろに黒で「青行隊」、紐ドカヘル
白地に黒で「空港粉砕」、後ろに黒で縦書き「東峰」、紐ドカヘル
白地に黒で「空港絶対反対」後ろに黒で「成田反対同盟」、紐ドカヘル
白地に赤で重なった「○○○」後ろに黒で「反対同盟」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 いずれも反対同盟のものと思われるヘルメット。「青行隊」は「青年行動隊」の略称。三つの重なった輪は反対同盟のマークで、反対同盟旗に染め抜かれているものと同じもの。

支援党派・支援者のヘルメット

・赤地に黄色デカールで「★」、ジェットヘル、2個
・赤地に黄色デカールで「★」、ジェットヘル(白ひさし付)、
2個
・赤地に白で「プロ青同」、紐ドカヘル

【管理人コメント】
 支援党派「共産主義労働者党」の青年団体「プロレタリア青年同盟」のヘルメットと、同青年団体が組織した「三里塚を闘う青年先鋒隊」のヘルメット。1978年3月26日の管制塔占拠党派の一つで、管制塔占拠部隊の中に同じヘルメットを被った者も居た。

・赤地に白で「反戦」、後ろに白で「プロ青同」、紐ドカヘル
【管理人コメント】前述の「プロレタリア青年同盟」
のヘルメットか、或いは共労党影響下の反戦青年委員会かも知れない。もっとも共労党影響下の反戦青年委員会があったかどうかは寡聞にして知らないが、「反戦」とあるからと言って反戦青年委員会のヘルメットと断定するのも短絡的であろう。

・赤地に黒の白縁で「婦人通信」、ドカヘル
【管理人コメント】
 支援党派「日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)」系の冊子『婦人通信』の「『婦人通信』編集委員会」が呼びかけて集まった全国の戦闘的婦人によって組織された。(1978/4/3付 『世界革命』第517号 三・二六開港阻止決戦勝利報告特集号に記載あり。)

・青地に黒で「反戦」
【管理人コメント】
 支援党派「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」影響下の大衆団体「反戦青年委員会」のものと思われるヘルメット。

・黒地(赤地の塗直し)正面難読。左側面に白で「解放」半帽ヘル
【管理人コメント】
 唯一文字が判別できなかったヘルメット。

・白地に赤いビニールテープで「✚」、左側面に黒で「救護」、ドカヘル
・銀地に赤いビニールテープで「✚」、左側面に白いビニールテープで「野戦」、
後ろに赤いビニールテープで「✚」、ドカヘル
【管理人コメント】
 おそらく三里塚野戦病院の活動家のものと思われる。当時の写真を見るとそれなりの人数がおり、青医連の活動家なども参加してデモ隊との衝突による負傷者の救護に当っていた。

・赤地に黒の白縁で「合宿所」、後ろに黒の白縁で「弁当隊」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 三里塚の労農合宿所に所属していた活動家のものであろう。弁当隊ということは非戦闘員で炊き出しを担当していたのだろう。

・黒地に白で「反战」、左側面に白で「7」、右側面に白で「叛乱」、ドカヘル

【管理人コメント】
 ノンセクト系の活動家だろうか。詳細不明。

・白地に青で「全共闘」左側面に青で「応化」、その上に黒で「応斗委日和見派」、後ろに赤で「震研斗争勝利」、右側面に青で「応化」その上に赤「反帝」、紐ドカヘル
【管理人コメント】
 このヘルメットは東大全共闘のものではないかと思っている。以前ヤフオクに東大地震研闘争に関する本が出ていたのだが、寝過ごして入札できなかった。

・赤地に黒で「連帯」、後ろに黒で「連帯自治会」、その上に黒で「現闘(門構えに斗)」、紐ドカヘル

【管理人コメント】
 どこかの党派或いはノンセクト系の自治会で現地に常駐していた活動家のヘルメットだろう。

以上が展示品のヘルメットの全てである。反対運動初期の襷や鉢巻、その他実物資料が展示してあるので、一見の価値はある。しかしそれはこの歴史館のコンセプトの正当性を担保し得るものではない。

参考(追記2011.10.06付)

来場者アンケート(手元の資料整理してたら出てきたので公開)

Img021

2011年2月14日 (月)

日本の学生運動に関する記述のあるフランスのブログ

アクセス解析かけてるといろいろなところからリンク貼られてるのがわかるんですが、まさかの海外からも。

それがこちらのフランスのブログ→Feuilles d'érable et chrysanthèmes

中3の時に必修で、高1の時に選択でフランス語を採り、高1の2学期の期末試験でバックれた私にはフランス語なんてトンとわかりませんが、excite翻訳先生の力を借りたら、そりゃあめちゃくちゃな日本語にはなりますが、「今の日本ではデモなんかにも遭遇しませんし、きっちり官憲に規制されてます」みたいな話から始まって、日本の戦後史の概観までしてます。革マル派とかもきちんと読めてるんで、筆者がどのような方かは存じ上げませんが、日本語も堪能で、おそらく学生運動の知識もかなりお持ちの方とお見受けします。

それ以外にも見つけたものがありまして、日本の学生運動なんて日本国内でもおよそ学問的に確立しているとは言えないものを研究している方もいるようで、古い書き込みですが紹介します。というか僕が趣味者になる以前の書き込みですが。

全学連と論文のお手伝い
http://www.forumjapon.com/forum/viewtopic.php?t=5987&sid=bc49ece5ad092dc8dd96bc5a94b1de32

 うーん。面白いですね。逆にフランスの5月革命の研究をしている日本人だったらたくさんいる気がします。たぶん日本の学生運動研究している日本人より多いと思う。良く知らないけど。

追記:手持ちの実物資料をPicasaにアップしてありますのでよろしければご覧ください。

ただ、紙資料は収拾がつかないので、いずれリストでアップします。


質屋

2011年1月22日 (土)

レッドパージ期の共産党員指名手配書

この度、レッドパージ期の共産党員指名手配書を入手したので公表する。
レッドパージ下において一般刑法犯とはその性質を全く異にする超憲法的な法律によって指名手配された人々に関する内部資料であるため、これを一般に公開することは公益に反するものでなく、むしろ寄与(どのように寄与するかは私の知るところではないが)するものであると判断し公開する。

なお指名手配された人々の住所、本籍、原籍、指紋に関してはプライバシー保護の観点からこれを抹消して掲載することを了解されたい。

また、それぞれの画像をクリックすると、Picasaに飛ぶように設定してあり、リンク先では写真を拡大して細かく見ることが可能である。

また、拡大ができない場合は右上の「ダウンロード」から「写真をダウンロード」を選択して、PCにダウンロード後に閲覧すると拡大できる。

【封筒】

Photo_2

 

当該手配書と指紋採取用紙は昭和29(1954)年9月22日消印の某県警警察本部警務課差出しの実逓便に収められていた。当封書の名宛人は同県内の(現在でも)農村部の個人である。

【手配書1】

1

手配書1 表
徳田球一、野坂参三、伊藤律、志田重男、紺野與次郎、松本三益、長谷川浩、竹中恒三郎 8名の顔写真、左示指指紋

また、一番右端には8名分の別の指紋があり「この欄の指紋は、左表押捺指紋の反対の指紋であるから指頭の指紋と直接対照する場合に利用すること。」との記載がある。

1_2

手配書1 裏
徳田球一、野坂参三、伊藤律、志田重男、紺野與次郎、松本三益、長谷川浩、竹中恒三郎 8名の生年月日、住所、本籍、原籍、人相書き、署名(本人のものか?)

手配書1は1950年6月6日の公職追放後、団体等規制令違反(不出頭)で逮捕状が出た所感派中央委員9名の内、同年10月に逮捕された春日正一を除く8名であると考えられる。

参考:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/toshi/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_12_2.htm

 

【手配書2】

2

手配書2 表
椎野悦郎、河田賢治、鈴木市藏、杉本文雄、輪田一造、保坂浩明、西沢隆二、岡田文吉、岩本巖、木村三郎 10名
の顔写真、左示指指紋

2_2

手配書2 裏
椎野悦郎、河田賢治、鈴木市藏、杉本文雄、輪田一造、保坂浩明、西沢隆二、岡田文吉、岩本巖、木村三郎 10名
の生年月日、住所、本籍、原籍、人相書き

手配書2は1951年9月4日に政令三二五号(占領目的阻害行為処罰令)違反容疑で逮捕状の出された19名の内、当時逮捕されていなかった11名の内の10名である。本手配書に掲載のない残りの1名、西館仁についてはいつ逮捕されたかなど不明。文献調査を要する。
参考:http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/25/rn1953-605.html

 

【指紋採取用紙】

Photo_3
指紋採取用紙 表


Photo_2
指紋採取用紙 裏

同封されていた指紋採取用紙に残された一名の両手の指紋については、誰のものか不明。

【本資料より推測されること】

指紋鑑定の実際がどのようであるかは寡聞にして知らないが、農村部に住む個人が以前から同県警の指紋鑑定を委託される関係にあり、同県警は指名手配者と思われる人物から採取した指紋を、レッドパージ手配者の指紋と照合するように依頼して、送付したのではないか?

→あんな小さな引き延ばしてもいない手配者の指紋で照合なんてできるのか?

→また、この手配書は持ち運びが容易にできるようになっており、鑑定依頼で送るならこのような形式の手配書である必要はないのではないか?

Dsc_0052

縦方向に五等分に折ってあるのがよくわかる。五等分された一つの面は名刺大かやや縦が長い程度の大きさ。

これをみるに、どちらかと言えば集会、あるいは共産党と関係が疑われる機関周辺での張り込みで使われる面割り用のものに思える。

こんな感じで

19690905

1969.09.05 山本の手配写真を照合中の機動隊員(於 全国全共闘結成大会)

さぁどうなんでしょうか。おそらくこのような資料が公にされることはないでしょうから真相は闇の中なんでしょうね。


2010年12月11日 (土)

古書「赤いドリル」さんに行く

あんまりこういう記事を書くことはないかと思いますが…。

下北沢の古書店(&BAR)「赤いドリル」さんへ行ってきました。

日記へ取り上げた時点で薄々お分かりでしょうが、「赤いドリル」さんはただの古書店ではなく我々の共産趣味と非常に近い位置にあります。

HPのPROFILEより一部を抜粋します。

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(前略)

浅間山の麓に篭城しながら、その美しさに気づく余裕もなく、ここまで追い詰められた25歳の若者の青春を想像し、その 後38年拘束されて63歳になろうかという男が最後に見た自然らしい風景が催涙ガスに煙る浅間山だったことに思いを馳せたとき、ぼくの連合赤軍関連本や資 料収集の日々ははじまりました。それまでも寺山や唐十郎、アラーキーなどなど目当てに古本屋に通っていたわけですが、「連合赤軍事件」を通して、ぼくは古 本屋と出会いなおし、1960年代や70年代と出会いなおし、さらに言えば「本」そのものと出会い直し、細かいことは端折りますが、いつか「連合赤軍事件 で目録を作ろう」とライフワークをさだめつつ、古書店開業を発心するに至りました。

古書赤いドリルは、その棚を眺めれば結局ぼくは見ることがかなわなかった昭和の風景たちを、その風景の中で息づくひと びとを感じられるような、戦後の昭和史を散歩するような、そんな店でありたいと願っております。近い未来、確実に、決定的に失われるであろう「昭和」の景 色は、本のなかでしかもはや出会えない、そんな本たちの出番をつくる仕事をさせて頂きたいと思っています。

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赤いドリルさんが開店したのはなんと今年の6月と非常に最近のことで、私が存在を知ったのは11月2日でした。新左翼関係の書籍を探している最中に偶然見つけました。
その時twitter上で感想を呟いたのが残っているので、「お前の感想なんざどうでもいい!」と仰る方もあるかもしれませんが、こちらも一応引用しておきます。

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今年六月に開店した「赤いドリル」という古本屋兼バーをネット上で偶然発見。ブログを読む限り脱サラして始めたみたいだけど勇気あるなぁ。店主の方は連合赤軍を主とする趣味者みたい。シンパっていう感じじゃなくて“ファン”というのが一番しっくりくる。 http://bit.ly/bPAKqp
11月2日 8:51PM  webから

「古書赤いドリル」さんは下北沢にあるので近々行こうと思ってる。既に趣味者と思しき人も来店しているらしい。冷戦崩壊後の生まれだから知らないけど、バーと書店の併設と聞いて昔の模索舎を思い出した。僕は下戸だからバーは無理だな。
11月2日 8:59PM  webから

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(赤いドリルさんは主に連合赤軍を研究なさっているようですが、当ブログでは連合赤軍はありませんが、日共革命左派赤軍派のページはあります。 連合赤軍に直接関係する実物資料として連合赤軍機関誌「銃火」が日共革命左派のページに展示してあります。)

まぁ前置きはこれくらいにして…。


今週の水曜、12月8日に伺いました。場所は小田急線or京王井の頭線「下北沢」駅を南口に降り、そのまま緩やかな坂となっている商店街を下って餃子の王将の通り過ぎ次の道を右手に入っていったところにあります。

※こちらのHPを見てから行きました。
詳細な地図はページ最下部

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店舗外観

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看板も好い味出してます。

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入って右側の本棚。写真中央にも低い棚があり、大型本が配架されている。

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入って左側の本棚を店舗の奥から臨む。文庫本等が主か。

Cimg2498
奥のバーカウンター。

店に入り中を見回すと、そこかしこに新左翼関係の書籍がありましたのでつい夢中になり吟味することおよそ10分。


陶山健一,『反戦派労働運動』,1969,亜紀書房
思想運動研究所編,『左翼30集団』,1968,全貌社
高杉晋吾,『部落差別と八鹿高校』,1975,三一書房
松崎明・谷恭介,『国鉄動力車』,1972,三一書房
土田・日石事件弁護団編,『土田・日石事件 意見陳述集 第一巻』,1976
ビートたけし他,『60年代「燃える東京」を歩く』,2005,JTBパブリッシング

の計6冊を購入。3050円也。
相場より安いです。ネットからも買えますので、ぜひどうぞ。品物は全体的に状態の良いものが多かったように思います。

会計をお願いしている間に事情を話し、ブログで紹介することと、そのための写真撮影の許可をいただきました。
共産趣味者として他人と話をする機会がなく、このようなことをするのも初めてでしたので、緊張して自己紹介やブログの名前を申し上げるのを完全に忘れており、いまさらながら大変失礼なことをしたな、と猛省してます。

応対してくれた店員さんはオーナーさんではなかったのですが、物腰の柔らかい非常に感じの良い方で、商品の扱いも実に丁寧でした。

まぁ簡単にまとめますと、こじんまりとしている雰囲気の良いお店で、品ぞろえもよく、価格も良心的で、店員さんも良いということです。これだけたくさんの新左翼関連書籍を見られる古書店は、私は都内ではここともう一軒しか
知りません。かなりお勧めです。

最後に応対して下さり、突然の申し出に快く許可を下さったお店の方に心より御礼申し上げつつ、時間も時間で正直眠くなってきたのでこれで終わりにしようと思います。

※こういう文章を書くのに慣れていないおらず、オチ無しの文章になりましたことをお詫び申し上げます。